*正義の人
 LEO氏は、先日、こんな記事を発表していた。

 その要点を取り上げれば次のようになるだろう。
悪に対しては安易な妥協はしてはいけない。邪悪に対しては徹底して立ち向かい、これを粉砕することが大事だと私は考える。
悪に対しては、一歩も譲らずに、「許してはいけない」一線を越えた悪に対しては、鉄槌をくらわせるのが正義だと、わたしは考える者です。
善を推し進めるのが王道であるのは確かだけれども、一方では、悪に対する鉄槌、制裁、少なくとも牽制は必要であって、好き放題やらせていい気にさせておく必要などまるで無いとわたしは考える。鉄槌が必要ですね。
 これら読むと、LEO氏は正義の実現を目指す人だと思う。


*正義の背景
 では、その正義とは何かといえば、このようなものであるらしい。
悪がみずからを改める気持ち「皆無」の状態であるのに、これを安易にゆるし、放任し、甘やかすのは、断じて霊的な目から見ても正しい対処法ではないはずだ。
アンチへの切り返し批判も同様にして、人間関係における正義と悪の問題の事例だと思われるので、これに対するには、安易な妥協は無駄であり、徹底した破邪をかけることこそが正義だと自分は考えるものです。
彼らに改心の兆しがあるか?まるで無いのに許すのが愛だろうか。あの世において地獄堕ちに相当するような言動をしていて、これに対するに神は許しを与えるだろうか。当人に悔い改めの心なくば、許しの光はまったく差し込んでこないように、邪悪の中にあって開き直っている人間に、対する人間が優しく、同調するのは順序が逆であって、改心が先だとやはり思う。
アングリマーラの改心は、仏陀の威神力によってハッとさせられたアングリマーラの心に、わずかであっても回心のための後悔の念があって、そこに釈尊は語り掛けたのではないだろうか。
アングリマーラがハッとして踏みとどまることもなく、あくまでもしつこく釈尊に切りかかってきたならば、おのずと対応はまた違ったものになったのではなかろうか、と想像してみる。
 これらを読むと、LEO氏の考える正義とは、幸福の科学(HS)の信仰に基づく宗教的なものであることが分かる。
 大雑把に言えば、大川隆法は仏陀である、アンチらは仏陀(大川隆法)を誹謗中傷するという大罪を犯している。邪悪なアンチには鉄槌をくわえる、ということか…。


*方法
 では、どのような方法で、アンチに鉄槌をくだすのかといえば、他の記事ではこう書いてあった。
アンチという立場に立つうえでも、悪質であり、粘着質であり、懐疑主義であり、屁理屈、詭弁の輩であってみては、まともな信仰論など語れるはずもないので問題外のレベルなのですが、モノの考え方に置ける問題点、誤った事例のサンプルの一つではあるので、抽出できる要素があったらそれを一般化して、ときどき記事にすることが今後もあるかと思います。

『アンチとのディベートは不毛だなぁと今更ながら振り返る』記事のその後 - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
 「抽出できる要素があったらそれを一般化して、ときどき記事にする」というのは、LEO氏のこれまでのやり方からすると、相手を名指しすることなく、事実を取捨選択し、利用できるところを切り取り、一般論という形をとった批判記事(アテツケ記事、当てこすり記事)を書くということだろう。
 LEO氏にとって、悪に鉄槌を加えるというのは、正々堂々、正面から糾弾するというのではなく、アテツケ記事を書くということなのだろうか…。


*反省
 ちなみに、LEO氏は、以前、アテツケ記事を注意されて反省の弁を述べていたことがあった。

「相手を名指しで批判しないのは、当事者のみにわかればいい、というだけの理由ではなくて、一般化することによって、反論を受けた際の、逃げ道を作っている、という部分もあるからですね。」
「一般論のつもりが、念による直接攻撃であったり、バレバレの部分はあると思います。」
「ま、自分でも実践できていないので、あまり偉そうなことは言えませんが、一般論の形に見せた批判記事は、しないにこしたことはないなぁと、今後の注意点として、学ばさせていただきました。」

 でも現在の様子をみると、ここでの反省が充分に活かされているとはいえず、元に戻ってしまったようだ。自己変革はできるというなら、もうちょっと頑張ってみたらいいのに、と思う。


*他人の課題、自分の課題
 ライブドアの書籍・レビューカテゴリをみてたら、LEO氏の新記事が出てた。


 タイトルから、「また、アテツケ記事か…」と想像したのだが、やっぱりそのようだ。これだけアテツケ記事を書き続けるということは、それには何の疚しさも感じていないということなのだろうか。自分はアテツケ記事を書くと、後味が悪くて嫌だけど…。
 記事の内容については、この期に及んでも大川隆法は神で、霊言は真実だと言い張り、自己中心に起因するだろう怒りっぽい性格の者が、他人に向かって、強情、言い張り、自己中はいけないと説教しても仕方がなかろうと思う。
 でも、鉄槌の記事は意気軒高の様子だったのに比べると、今回の記事はずいぶんと元気がないようでもある。気のせいかな。よく分からないが、自分もLEO氏に対して厳しいことを書きすぎたようでもある。反省。やはり他人のブログを読んでとやかく言うよりも、まずは自分の課題に集中することにしよう。





◇◆ 追記 2020 ◆◇


*方針転換?
 自分の課題に集中しようと書いておきながら、追記をするのは格好悪いのだけど、ひさしぶりに、LEOブログを見たら、反論、批判らしき記事があったので保存しとく。


 タイトルからアンチ批判とは関係なしと判断してスルーしてたのだが、中身を読むと、アンチ批判がたくさんかいてあるし、論争関連記事なんだろう。
 大意としては、ブログは思想信条を同じくする仲間に向けて書くつもりで、アンチは止むを得ない場合は除いて、いちいち相手にするつもりはないということらしい。
 この少し前の「悪に対しては鉄槌が必要」では、アンチに対しては「安易な妥協は無駄であり、徹底した破邪をかけることこそが正義だと自分は考えるものです」として、今すぐにでも徹底的な批判、糾弾をはじめそうな勢いだったけれども、それと比べると随分トーンダウンしているのはちょっとおかしい。
 これではまるで、「アンチは徹底的に批判するぞ」→「でもアンチ批判は時間の無駄だから、今はやらないぞ」というお笑いコントのような展開だけども、気が変わったのなら、まあ仕方がない。
 アンチなんか相手にせず、たんたんと良い本の感想記事を書くというのも、けっこうなことだと思う。


*全体の感想
 ところで、この記事は、LEO氏の人となりが、よく現れた記事になっている。たとえば以下の三点。
・自分は正義であり、神の側に立っていて、退会者やアンチらは道を踏み外し、地獄に堕ちる者たちだと信じ込んでいること。
・敵か味方で、態度が豹変していること。信者仲間について書かれた前半部分では、肯定的、友好的な文章で、アンチについて書かれた後半部分では悪口、蔑視、偏見、憎悪などが剥き出しになっている。
・他人に影響を与えることを生き甲斐にしていること。逆に言えば、他人に影響を与えることを怖れたり、慎重であろうという気持ちは希薄であること。
 これらの特徴は、LEO氏だけでなく、OR氏にも見受けられるものだけども、これは類は類を呼ぶということでもあろうし、弟子は師に似るものだということでもあるのだろう。


*時系列
 LEO氏への反論記事は、少々、長くなっているし、前後関係が分かり難くなっているので、この辺りで整理しておこうと思う。

2013年08月05日 23:23
・発言の場の自由について ~アンチブログ「楽山日記」に対しての反論~ - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/13579150.html

2020年07月27日
◆マイコン解除のきっかけ(幸福の科学とキリスト教)- 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/25671660.html

2020年07月30日 06:20
・『アンチとのディベートは不毛だなぁと今更ながら振り返る』記事のその後 - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24172922.html

2030年08月31日 02:13
・あらゆる宗教・哲学を内包している幸福の科学の教え【TOP固定】- LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24528220.html

2020年09月01日 08:38
・悪に対しては鉄槌が必要 ~全体主義国家と邪悪な人間について~ - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24542314.html

2020年09月02日
◆信者ブログを見たけれど 1(嘘、デマ、事実誤認)- 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/26110396.html
◆信者ブログを見たけれど 2(古い話の蒸し返し)- 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/26111438.html
◆信者ブログを見たけれど 3(st関連)【加筆、追記あり】- 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/26111945.html

2020年09月06日
◆「発言の場の自由について ~アンチブログ「楽山日記」に対しての反論~」を読んでみた。- 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/26156774.html

2020年09月06日 21:21
・誰に向けてブログを書くのか? 【再掲】- LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24604356.html

2020年09月09日 09:17
・反省は、自分で行わないといけない ~強情な自我を捨て、裸の自分になるのが出発点~ - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/24631602.html

2020年09月09日
◆「悪に対しては鉄槌が必要」(LEO氏)を読んでみた - 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/26202031.html

2020年09月12日
◆改心とゆるし、どちらが先で、どちらが後か? - 楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/26232181.html

 関連記事はこれ以外にもあるが、今回はとりあえず、これだけを貼っとく。