「第八講 ヨブ愛の神に訴う」を読んだので、内容をメモ。
- ヨブは「友の提唱する所の神学の神、教会の神に反抗し」、「別に真まことの神を発見せんとする努力に入った」。
- 「そもそも時代の神学思想に反抗して、別にわが魂の飢渇を医やすに足るべき神を見出さんとする苦闘は必しもヨブに限らない、他にも類例が多いのである」
- 「人一人が神の絶大なる努力の結果として現われたるものにして、一人は大宇宙全体と匹敵する」
- 「神はその所作にかかる忠誠なる魂を決して棄てず、たとい一時彼を苦しむることあるも、しかして彼の生命断たるることあるも、神は復活の恵を以て彼を起し永遠の生命を彼に与えて彼をして最後のかつ永久の勝利を獲しむ」
- 西洋では、ロッジ、ロムブロゾーら、科学者も、心霊研究など、来世についての研究をしている。
- 「第十章全部を心に置きて考うるにヨブは義の神に対して愛の神を求めているのである」
- 「神は義たるに止まらずまた愛なり」「神を義と見るは不充分である。ためにヨブは解決点を得ないのである」
- 「神を義とのみ見る時人の心は平安を得ない。罪を罰し悪をただし規律を維持するをのみ神の属性と見做みなす時、人はわが罪の報むくいを怖れて平安を得ない。この時キリストを通して愛の神を知るに至れば、神観一転化を経て赦免の恩恵を実感し以て光明に入るのである」
- 疑問、悩みがあるときは、焦らず、急がず、慌てず、希望を忘れず、神より答えがあるのを待つこと。
しばらく読書を中断していたので、文章に慣れるまで難渋してしまったが、ゆっくり読んでいると徐々に文章のリズムになれ、その内容も頭に入ってくるようになった。こういう切り替えは、若いうちは無意識にやっていたけれども、年を取ってからはなかなかに難しく、けっこう時間がかかるからやっかいだ。ほんと、年は取りたくないものだ。
この講義を読むと、内村鑑三はスピリチュアリズムのことを知っていたようだ。当時の知識人としては、これは当然か。
ヨブは、神学の神でも、教会の神でもない、それらとは別の真の神を求めたというけれども、個人でそういう志をもち、実行するのはとてつもなく勇気のいることであったろうと想像する。
「神は義たるに止まらずまた愛なり」との言葉は、心に深く食い込むところがある。