『史上最強の哲学入門』飲茶著


*期待以上の面白さ

 『14歳からの哲学入門』が面白かったので、同著者の『史上最強の哲学入門』も読んでみた。期待以上の面白さだ。本書が人気作だとは知りつつも、けっこうな分厚さなので、時間をケチって手は出さずにいたのだったが、実際に読んでみると分厚さも時間も気にせず、どんどん読めた。本書を読んで、食わず嫌いならず、読まず嫌いは損をするというのは真実だと、改めて実感した次第である。
 さて本書の内容について触れると、本書は大まかにいって、真理、国家、経済、神、存在などといったテーマについて、過去の哲学者らはどのようなことを語ったかということが平易な文章で綴られているものである。よくある哲学入門のように、はじめは了解できても、中途から急に分かり難くなり、読み続けるのが難しくなることはなく、はじめから、最後まで、分かり易く説明されており、自分のような頭のつくりの者であっても、読み切ることができるようになっているのは有り難い。この辺りのことは、『14歳からの哲学入門』でも同様の感想を持ったし、著者は読み手のことをよく考えてくれているということなのだろう。感謝。


*自由とは、自分勝手ということ?
 本書の中で特に印象に残った箇所は、およそ三箇所あった。まず一つは、自由についての考え方である。本書の説明によると、ホッブスは人は利己的で自己の利益追求のためには殺し合いさえする生物であり、これを止めることに国家の役割があると考えたという。国家は人に「自分の欲望のために他者を殺す自由」(p.160)を放棄させるかわりに、身の安全を保障したのだと…。また、アダム・スミスは「個人は自分勝手に利益を追求せよ」(p.175)とし、これが多くの人々の幸福につながると考えたという。
 こうしてみると、ホッブスも、アダム・スミスも、(は)自由を自分勝手の意としているようであるし、これが自由の本来の意味なのかもしれぬと思える。ちなみにこれについては、前に「自由とは、自分勝手ということ?」という記事を書いたことがある。
 巷には、自由には一定の枠が内在されていると考えてか、「人から自由を奪ってはいけない。しかし自由のはき違えも許されない。自由を自分勝手と解してはならない」という意見があるが、自分はどうもホッブス的に、「自由は勝手にしてよいということであるから、万人と万人との争いを生む結果になるのは必然である。したがって、自由は一定の制限をする必要がある」とする方が実態に則した考え方のように思う。


*宗教の害悪
 もう一つ印象深かったのは、デモクリトスが原子論を唱えて以降、その後が続かず、科学の発達が遅れた理由について、「端的に言ってしまえば、「宗教が世界を支配する迷信の時代」が長く続いたからだ」(p.295)としているところだ。紀元前の古代社会では、巨大建築物は多く、公衆浴場も、下水道も、公共図書館もあったが、キリスト教支配が広まってからは、これらは失われ、人々の大半は文字も読めない状態になってしまったのだと…。
 自分は、キリスト教の修道僧らが学問を発達させたという話をどこかで読んだ記憶があるのだが、著者の考え方からすると、どうやらこれは物事の一面でしかなかったらしい。


*哲学とクトゥルフ神話
 最後の一つは、自分は水槽に入れられ、生かされている脳に過ぎないかもしれないという推測を完全に否定する手立てはないという話である。タイトルは失念したが、ラヴクラフトの小説で、宇宙人が人の脳を取り出して容器に保存し、宇宙旅行をさせる話を読んで、ものすごく怖かった記憶があるのだが、自分がそういう状態に陥ってはいないということを証明することは出来ないというのはゾッとする話だ。
 これ以外にも、人は世界を本当には認識することはできず、人以外のものは世界について人とはまったく違った認識を持ち、その認識は人には到底理解できないだろうという話も驚かされた。怖いもの好きの自分としては、この手の話を聞くと、ついつい人とは異質すぎるクトゥルフ神話を連想するのであるが、こうしてみると、世界はどうなっているのか、世界をいかに認識するかと思案することは、未知への怖れを生み、ホラーに通ずるものがありそうだ。





◇◆ 追記 2020.10.15 ◆◇


*修正

 アダム・スミスに触れた部分について、コメント欄において、誤解があるとのご指摘があったので、取り消し線を用いて修正しました。