*アテツケ
LEO氏は、相変わらず、アテツケ記事を連発してるようだ。
*ブーメラン
記事をざっと眺めたところでは、自爆、ブーメランになっているところも相変わらずだ。
たとえば、ずいぶん前からよくあるHS批判として、「大川隆法は霊とはたくさん話しているが、現実の他者との交わりは、ほぼゼロだ。教団外の他者とは全然交流できていない。教団も他の団体との交流はできてない。世界宗教者会議のようなものに参加したという話も聞かない」というものがある。
信者についても、信者同士でかたまってばかりだというのも、よく言われている。先日のHSUにおける島田裕巳氏の講演の前には、教団側の人物が、HSUの学生には教団の外のことを知る機会が乏しいことを心配する話をしていたともいう。
またHSでは、総裁は神であり、霊言は本物であるとするために、たくさんの言い訳、屁理屈を積み重ねているし、それをそのまま真に受けている人物が、洞察力について云々するというのもおかしなことだ。
*自由
あとは…記事の更新日時から行けば、こういう流れはありそうだ。
2020年11月20日
2020年11月21日
これはタイトルからすると、霊言の感想記事で、楽山とは関係ないかと思ったが、記事本文は自由をテーマとしてるようだし、たぶん上の流れなんだろう。
でもそれはそれとして、世間的にはカルト呼ばわりされているHSの信者が、天国的な生き方と、地獄的な生き方を見極めて、「本当の意味での自由をつかむことが、大切」というのは、壮大なブーメラン、自虐になってるといえそうだ。
*HSにおける自由
ついでに書くと、記事で紹介されている霊言本は、ツイッター上で笑いの種にされていたので、書店に行ってチラ見したことがあるけれど、太宰治霊はある女優について、脱ぎっぷりがよい、おっぱい揉み揉み、やらせてくれそうと言ってたし、オノ・ヨーコ守護霊はHSの世界観に基づく話は雄弁に語っても、自身の作品、パフォーマンスなどについては語れていないようだった。
HSの霊言は、概して、HSの世界観による話はたくさんしても、霊人本人の専門についてはあまり語れないものだけど、オノ・ヨーコ守護霊も例外ではなかった。
こういう霊言を本物だと信じることが、HSでいう信教の自由であり、「本当の意味での自由」であるというならば、それに同意することができるのは熱心な信者以外にはいないだろうと思う。
*ズレ
さらについでに、よくあるズレについても書いておこう。信者とアンチの間では、こういう認識のズレがよくある。
アンチ「このHS批判は正当な批判であり、正当な批判は言論の自由である」
信者「それは正当な批判ではなく、誹謗中傷である。アンチは誹謗中傷を言論の自由としている。それは自由のはき違えだ」
アンチ「大川隆法のここはおかしい。大川隆法は神ではない。こんな神がいるわけない」
信者「大川隆法総裁は地球神エル・カンターレである。これを信じないアンチは神を冒涜し、信仰を否定している」
アンチ「霊言のここはおかしい。この霊言は本物ではないだろう」
信者「霊言は宗教的な秘儀である。アンチは宗教を冒涜している。霊を信じない唯物論者だ」
アンチ「大川隆法の話は、ここもあそこも辻褄があわない。論理的におかしい」
信者「些末なことをあげつらって屁理屈をいうものではない」
アンチ「ORは神ではないし、間違ってると納得したので退会した」
信者「ORのせいにしてるが、ようは神を信じ、正しい道を歩むことができず、自己変革を放棄して、退転したということだろう」
アンチ「マインド・コントロールから抜け出し、自分を取り戻し、自由に生きたい」
信者「正しい真理に従わず、エゴのままに、わがまま勝手に生きようとするのか」
アンチ「HSはカルトだ。カルト被害者を少しでも減らしたいので、HSの危険性について警鐘を鳴らしたい」
信者「確信犯的に、地球神エル・カンターレとその団体を攻撃し、救世活動を邪魔するのは悪魔の所業だ」
こんな風に、信者とアンチには認識のズレがたくさんあるが、それにも関わらず一部の信者は、アンチの意見を省略して、自分の意見だけを書き連ねることがある。たとえばこんな風に。
「アンチは自由の何たるかを知らず、誹謗中傷を言論の自由だと言い張り、神、宗教、信仰を冒涜し、屁理屈屋で、エゴイストで、わがまま勝手で、真理を解せず、それに従うことを放棄した退転者で、確信犯的に悪を為す邪悪な存在だ」うんぬん。
信者とアンチの議論を知らない一般人が、これを読んだらアンチに対してどういう印象を持つかは容易に想像がつくし、そのことからいえばこれは悪質な印象操作といえるだろう。そして自分の見るところでは、LEO氏の他者批判は、こういうやり方になっていることが多いし、どうやらこれを改めるつもりはないらしい。
善意の第三者が騙されることのないように、この点、注意喚起しておきたいと思う。
◇◆ 追記 2020.11.23 ◆◇
◇◆ 追記 2020.11.23 ◆◇
*参考
丁度、今ツイッター上にて、上で示したパターンの議論があるので、参考として貼っておきたい。
信者(KENTO氏)はアンチは悪口をいったとし、アンチ(月影氏)は私は悪口はいっていない、あなたは私のどの言葉を悪口と判断したのかと問いかけるも、信者はそれには答えず、悪口をいった、悪口をいったと繰り返し、すべてアンチが悪いと言わんばかり…という流れ。
私見ながら、この陥穽に落ち込む信者は、物事を客観的、多角的に考察することが不得手で、自分の主観を即、真実だと思い込みがちな人が多いように思う。だから、反論されればされるほど、「私が悪口と判断したらそれは悪口だ、私が屁理屈と判断したら屁理屈だ、あなたがそうでないとするのは言い訳だ、ごまかしだ、自己正当化だ」と意固地になってゆく。恐らくは、大川隆法は神だとか、霊言は真実だとか信じ込み、どんな批判、忠告も受け付けないのも、こういう性質が影響しているのだろう。気の毒なことである。