『黄昏の岸 暁の天』小野不由美

*神の完全性と神義論
 「十二国記」を読んでいたら、神義論(弁神論)に関連してる台詞があったので、メモしておきたい。不条理に悩み、天帝を疑う李斎に、慶王が語った言葉。
もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」
〈省略〉
「だが、天が実在しないなら、天が人を救うことなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであれば、必ず過ちを犯す」
〈省略〉
「人は自らを救うしかない、ということなんだ――李斎」 

(『黄昏の岸 暁の天』小野不由美著、新潮社、令和元年、p.390)
 こうしてみると、神は不完全だとすると、この世の悲惨を理解し、受け入れやすくなるが、神は完全だとすると、途端に、なぜこんなにも悲惨があるのだと疑問を持たざるを得なくなることがよく分かる。
 キリスト教の神学があれほど巨大なのも、こういうことも影響しているのだろうか…。
 それにしても、「十二国記」は面白いな。噂には聞いてたけど、今回読んでみて、大人気の理由がよく分かった。慶王は格好良い。