著者は内村鑑三の長男祐之の妻であり、本書では自身の立場から見聞きした鑑三の言行について綴っているのだが、記憶に頼って書くだけでなく、鑑三の日記と照合し事実関係を確認してあるところがすばらしい。
「あとがき」によると、戦後は鑑三について「虚実とりまぜた一身上のことまでが」取りざたされるようになったので、真実を書き残しておきたいと考えて筆を執ったとのことであるし、もともと書物の編集、翻訳に携わっている方なので、そのような念入りなものになったのだろう。
「あとがき」によると、戦後は鑑三について「虚実とりまぜた一身上のことまでが」取りざたされるようになったので、真実を書き残しておきたいと考えて筆を執ったとのことであるし、もともと書物の編集、翻訳に携わっている方なので、そのような念入りなものになったのだろう。
このことから本書の信頼性は高いと思うのだが、その中で自分にとって最も印象的だった点について、いくつかメモしておきたいと思う。
*情熱家
まず一つ目は、内村鑑三は非常に情熱的な人だったということである。
対人関係では、あまり熱情が大きすぎるため、相手の態度に絶えず物足りなさを感じておられたのではなかろうか。総じて愛憎の烈しいのが内村家の性格だそうで、父もよほど、それを自制しておられたように思う。(『晩年の父内村鑑三』内村美代子著、教文館、1985年、p.104)
いったい大きな子供のように感情の強い人でしたから、気に入ったものを頂くと、その喜びは大変なものでした。(同上、p.114)
「実家と絶交して、いったいどうしていたのか」と、不審に思われる方もあるかもしれないが、絶交は父のよくやることなので、私は大して驚きもしなかった。(同上、p.44)
父は直情径行、悩みごとを家族に隠しておけるような人ではありません。(同上、p.134)
著者の夫(鑑三の長男)は、「いたずらっぽい目」をして、こんなことを言っていたともいう。
「おまえはすぐプンとするが、それはおまえの将来に決してよいことではないから気をつけるんだよと、お父さんが言ったものだよ。あのお父さんがね」(同上、p.75)
こうしてみると、内村鑑三はその長所はもちろん、そうでないところも含めて家族から愛されていたようだ。
*バランス
二つ目は、情熱家ではあっても極端にははしらなかったという話である。
自身も催眠薬などには苦心されたと見えて、薬のことにはなかなか詳しく、ある人が毎晩ジアールを服用されると聞いて、「そんな乱暴なことをして!」と、眉をひそめておられたこともある。なるたけ強い薬を避けて、自然の食事療法に近いものを採られ、米は三分づきぐらいの黒いものと決まっており、餅は栗餅であった。しかし何にもまして精神力を尊重しておられたことは明らかである。それかといって、クリスチャン・サイエンスなどにははしらず、どこまでも常識の則を超えぬやり方であった。(同上、p.94)
不眠症で悩んでも無謀なことはしない、信仰心は強く、感情も豊かでありつつも、理性的で常識をわきまえているというのは大人だなと思う。
*天罰
三つ目は、内村鑑三は天罰を信じていたらしいことである。
ある日の食後の雑談の折りに、父は容をあらためて申しました――「この年になって、いよいよはっきりわかってきたことは、この世には天罰があるということ。人の子をわなにおとし入れれば、自分の子が同じ穴に落ちてしまう。私はそういう実例をたくさんに見た。すべての人がこの事をよく知って、神様を畏れなければならない」(同上、p.175)
「悪には必ず報いがあるが、災いはすべて悪の報いとは限らない、義人の苦難のように」とするなら、天罰を信じることと因果応報を信じないことは両立し得るのだろうが、ヨブ記講演において因果応報を説くヨブの友人たちをあれほど強く批判していながら、悪には天罰という報いがあると強く信じているところは興味深い。
人の脳は、目的論的、因果応報的に考えるようにできているというが、内村鑑三もその例外ではないということだろうか。
*生物学と信仰
最後に、本書によると、「一生を通じて最も感化を受けしは如何なる書なるや」との問いに、内村鑑三は次のように答えたという。
基督教の聖書、ダーウィン氏原種論、ブレース氏の人類思想発達史(同上、p.152)
また学生時代は、生物学が得意だったらしく、志賀重昴による内村鑑三の紹介文にはこうある。
特に生物学に到りては全百点を得。(『内村鑑三選集 別巻』「〔内村鑑三氏〕」志賀重昴著、岩波書店、1990年、p.3)
内村鑑三は農学校の卒業後には、水産生物学の研究で種々の業績を上げたというし、信仰を持ちながらも、それとは相反するだろう生物学の分野でも優れていたというのは驚かされる。
マクグラスもそうだが、こういう風に自己の信仰とは相容れぬだろうものさえ受け入れ可能な人物は、やはりそれだけ器が大きいということなのだろう。