*通知
 ツイッターで通知があり確認してみたら、またもや、st氏が歪曲捏造してた。


*比較
 まず、楽山の元々の発言と、st氏による歪曲捏造後を並べるとこうなる。

2020-12-27 (1)楽山の元ツイート
https://twitter.com/komo266/status/1342747409919614978

2020-12-27 (0)st氏による歪曲捏造の例
https://twitter.com/st5402jp/status/1342840763437072384

 両者を比較すると、楽山は、「~ならば、××である」という風に、ある前提を示したうえで結論を出している。
 にもかかわらず、st氏はこれを前提条件なしの断言に変えてしまっている。こんな風に。

楽山発言「KENTO氏は継続的にアンチに関連したツイートしてるので、アンチから継続的に反論があるのは当然だ」
st要約「(省略)アンチから継続的に反論があるのは当然だ」

 これはつまり、「批判したら、反論されるのは当然だ」という意見を、「批判したかどうかに関係なく、反論されるのは当然だ」という風に、無条件に反論、批判してもよいという意見に変えたということ。
 省略、要約は一切認められないとは言わないが、このようにまったく異なる意味に変えてしまうのは話にならん。


*もう一つ
 あと、もう一つ。ここでもおかしなことになってる。

2020-12-27 (7)KENTO氏はスルーしてた
https://twitter.com/komo266/status/1343052268749217794

2020-12-27 (6)st氏による歪曲
https://twitter.com/st5402jp/status/1343120847075098624

 楽山のツイートでは、多くの人がKENTO氏をスルーしてたとしている。
 でも、st氏はおかしな省略をして、KENTO氏が他をスルーしてたと変えてしまっている。これも話にならん。

楽山発言「信者はもちろん、多くのアンチ氏らも、KENTO氏はスルーしてた」
st要約「K氏はスルーしてた」

 この他には、「KENTO氏」を勝手に「K氏」に変えたり、変えなかったり、不揃いにしてるのもダメ。


*基本方針
 今回、通知が入ったのは、この二つだけだが、あとは推して知るべし。
 やはりst氏とはまともな対話は成立しそうもないし、これまで通り、スルーを基本にしておく。





◇◆ 追記 2020.12.28 ◆◇


*KENTO氏のこと
 本記事の主題とは全然別の話だが、ついでにKENTO氏の件についても書いておこう。
 まず、KENTO氏が話してる相手はこちらである。

2020-12-28 (0)KENTO氏がストーキング
https://twitter.com/vincent20200110/status/1342706648842870790

 この議論を傍から見てる楽山としては、ここにある通り、KENTO氏はアンチの悪口を書いてるのだから、アンチから抗議があるのも仕方なかろうと思うのである。
 また、KENTO氏は行き詰るたびに、「――」→「kaoru」→「KENTO」というようにアカウントを変え、別人を装って再登場し、アンチ批判を繰り返しているようだし、それなら発言をスクショ保存されても仕方ないのだ。


*田中氏
 ちなみに、田中氏はアンチ批判をしてるときは、プチ炎上みたいになっていたが、アンチ批判をやめてからはそういうことはなくなっている。ツイートを削除することも特にないようなので、すべての発言をスクショされまくるということもない。
 KENTO氏は、継続的にスクショを撮られ批判されることが嫌なのであれば、田中氏のことを参考にしたらよいのではないかと思う。


*注意点
 KENTO氏のツイートを見ていて思うことだけども、KENTO氏はLEO氏と似たところがあるようだ。
 これはあくまで、自分が受けた印象にすぎないのだが、まず一般信者とLEO氏には次のような相違点がある。

一般信者「総裁の説法は素晴らしい。感動しました」
LEO氏「総裁の説法は素晴らしい。感動しました。でもアンチはこの素晴らしさが分からない。自己中で邪悪だからだ」

 一般信者とKENTO氏にも、同じような相違点がある。

一般信者「悟りとは、これこれこういうものと思う」
KENTO氏「悟りとは、これこれこういうものです。でもアンチにはこれが分からないみたいですネ」

 ようは、KENTO氏も、LEO氏も、さして必要のない場面でも、悪口、軽侮、嫌味を言わないではいられない人だということ。
 上の例文は両者がそのままのことを口にしたわけではなく、たとえにすぎないのではあるが、両者の文章には、このようなニュアンスが含まれていることは多いし、この点は注意した方がいいと思う。
 常々、アンチのことが気になり、腹を立てているから、真理の話を書いてるときでさえ、アンチに対する不平が出てしまうのだろうけれども、そこはぐっとこらえて、真理の話をするときはアンチ批判という余計なものは持ち込まない方が賢明である。
 アンチ批判と、真理の探究はきちんと区別して、ごちゃまぜにして書かないことは大事。