本書では全編に渡って、人生においてはバランスが寛容であることを説いている。たとえば、道徳を重視するあまりに経済を無視してはならぬし、儲けのみを目的として道徳を軽んじてもならない、無駄遣いは止めるべきだがケチであってはならない、事を起こすには細心の注意を払うべきだが時に大胆さも必要であるというように、道徳と経済、個人と社会、形式と内容、保守と進歩、慎重と大胆などの相反すると覚しきもののうち一方に偏することなく、道理にもどついて判断すべきというのである。
著者の言葉によるならば「決して極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志をもって進んでいくことを、心より希望する」(p.138)とのことである。これは至極まっとうな考え方であろうし、このような人生観を提示する本書が、長く読みつがれているというのも納得である。
ところで本書には宗教について興味深い記述が二箇所ほどあった。一つは修験者による神のお告げのまちがいを指摘してやり込めた話である(第5章 理想と迷信)。この逸話は大河ドラマでも描かれていたそうで、痛快とするツイートが沢山あったのだった。
もう一つは奇蹟がないことをもって、キリストより、孔子を信じるとしている箇所である(第7章 算盤と権利)。その理屈はどういうものかといえば、キリスト教では奇蹟を説いており、これを「事実だと認めてしまうと、知恵はまったくくらまされ」「一滴の水が薬品以上の効果をあらわす」などと信じることにもなってしまう。孔子にはこのような奇蹟、迷信はない。「宗教やその教義としてはキリスト教の方がよいかもしれぬが、人間の守る道としては孔子の教えの方がよい」。孔子について「この点こそ、わたしがもっとも深く信じる理由であり、またここから真の信仰も生まれてくるのであろう」とのことである。
自分は、宗教全般に懐疑的であり、怪力乱神は語らずという態度は当然であり、賢明なことであると考えつつも、ルルドの奇蹟のようなことは絶対にないとは言い切れぬのではないかと思ってしまう性質なので、著者のように合理主義的で割り切った考え方ができる人物には驚きとともに一種の羨望を感じる次第である。