*道とは?
『神皇正統記』を読んでいたら、気になる文章があったのでメモしておきたい。
古の聖人は「道からはかりそめにも離れてはいけない。ちょっとでも離れることができるようなものは道とはいえない」と言っている。(『神皇正統記』北畠親房著、松村武夫訳、教育社、1990年、p.111)
前々から、「『道を踏み外してはいけない』とか、『真理に反した行いをしてはいけない』というけれど、そもそもすべてを統べる真理、法というものがあるとして、そこから外れることなんて可能だろうか? 外れることができた時点でそれはすべてを統べる真理でも、法でもないことになるのではないか」という疑問を持っていたので、「ちょっとでも離れることができるようなものは道とはいえない」という一文は我が意を得たりという心持ちがする。
もっともこれはこの一文だけに注目した自分の解釈であって、この文章全体の意味は、君に忠、親には考を尽くすのが人の道であって、これに反してはならぬ、もしそうするなら相応の報いがあり、無事には過ごせぬだろう、人は道から離れては生きては行けぬものなのだということなのだろうけど…。
◇◆ 追記 2021.5.9 ◆◇
もっともこれはこの一文だけに注目した自分の解釈であって、この文章全体の意味は、君に忠、親には考を尽くすのが人の道であって、これに反してはならぬ、もしそうするなら相応の報いがあり、無事には過ごせぬだろう、人は道から離れては生きては行けぬものなのだということなのだろうけど…。
◇◆ 追記 2021.5.9 ◆◇
*詩編
この記事を書いたあと、ツイッターを見たら、詩編139が話題になっていた。
どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。/どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。/天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます。(詩編139:7-8)
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。/わたしの日々はあなたの書にすべて記されている(詩編139:16)
なんとなしに、お釈迦様から離れることのできない孫悟空を連想してしまうが、人は全能者の定めた範囲から一歩も外にでることができないというのはその通りではあろうと思う。