*つづき
前記事に続けて、ドーキンスの名言について感想を書いてみたい。
*ダーウィン
リチャード・ドーキンスbot@Dawkins_bot_jp利己的遺伝子説はダーウィンの説である。それを、ダーウィン自身は実際に選ばなかったやり方で表現したものであるが、その妥当性をダーウィンはただちに認め、大喜びしただろうと私は思いたい。
2021/08/29 13:39:26
これはドーキンスに対する最大の賛辞にちがいない。
*人という生存機械
リチャード・ドーキンスbot@Dawkins_bot_jp我々は、遺伝子として知られる利己的な分子を保存するように盲目的にプログラムされた、機械的な乗り物としての生存機械なのだ。これは、私の心を驚きで満たしてしまう真実である。
2021/08/30 13:39:18
https://t.co/iPAlKNf5aR
こういう考え方は、以前の自分であれば絶対に受け入れることはなかったのであるが、最近はさして抵抗を感じなくなっているのだから、我ながら不思議だ。人は変わるものだということなのだろうな。
*利己的な遺伝子
リチャード・ドーキンスbot@Dawkins_bot_jpこの本の主張は、我々、そしてすべての動物は、遺伝子によって作られた機械であるという事だ。
2021/08/30 10:39:17
https://t.co/iPAlKNf5aR
マーク・トウェインの『人間とは何か』を読んで、人間機械論には合点がいったのではあるが、ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読むことで、人の利他的行為の背景についてさらに深く考える切っ掛けを得られたのはよかった。
進化論は肉体の進化に関することだけだと思い込んでいたのだけれども、人の行動および心理に関してもさまざまな謎解きをしているところには感動を覚える。
*ダーウィン批判とマヌケども
リチャード・ドーキンスbot@Dawkins_bot_jpダーウィンの進化論に反証など存在しない。しかし、仮に反証されることがあるとしても、それは科学者によってであって、マヌケどもによってではないだろう。
2021/09/05 01:39:18
これは辛辣なもの言いだ。でも創造論者による進化論批判のトンデモぶりからすれば、こう言いたくなるのも理解できなくもない。
*地球外生命体と自然淘汰
リチャード・ドーキンスbot@Dawkins_bot_jp自然淘汰の説明力は、この惑星の生命に関することだけではない…原理的にはあらゆる惑星での生命に適用できる。もし宇宙の他の場所で生命が存在するとすれば―私の暫定的な予測では存在する方に賭けるが―自然淘汰による進化の何らかのバージョンが、その存在の背後にあることはほぼ間違いないだろう。
2021/09/09 19:39:17
どのブログかは忘れてしまったが、もし宇宙人が存在するとしたなら、それは地球人と似た姿をしているだろう予測を読んだことを思い出す。その理屈は、知性を発達させるには大きな脳が必要であり、大きな脳を支えるには直立する必要がある、道具を用いるには道具をしっかり掴めなければならず、そのためには親指と他の指のように向き合った指が要る…という具合に考えてゆけば、宇宙人もきっと地球人の姿とよく似たものになるだろうというものだった。
無神論者のドーキンスが、地球外生物が存在する可能性を否定しないというのは意外な気がしないでもないが、こういうところからするとドーキンスが厳しい宗教批判を続けているのは、頭が固くて超自然的なことを理解できないからではなく、論理的かつ柔軟な思考ができるからこそなのだろうと思えてくる。