世界は邪悪に満ちている だが日本は

 本書は、アメリカや中国などの悪辣さを指摘しつつ、日本の美点を強調しているものだが、キリスト教についても随分と厳しく批判をしており、その中には自分の知らなかったこともあったのでその一部をメモしておきたい。
 まず本書では、欧米人の残虐さは聖書の影響があるとしている。
彼らは、主がモーセに命じられたとおり、ミディアン人と戦い、男子を皆殺しにした。

(民数記31:7)
直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。

(民数記31:17-18)
 後の方はモーセの言葉であるが、彼らはこういう考え方に馴染んでいるから、女はプレゼント、ボーナスという発想が生まれ、「慰安婦は天皇陛下からの贈り物だ」という日本的には理解できないおかしな発想も出てくるのだという。
 またスペイン人の南米における残虐行為の背景には、先住民にキリスト教を布教して受け入れたら理性の持ち主といえるが、受け入れなかったら猿と同じだから奴隷にしてよいという教会からの回答があったという。
 日本でキリスト教系の女子校が多い理由は、「母親がキリスト教徒になれば娘もキリスト教徒になる。娘がキリスト教徒になれば、やがて孫もキリスト教徒になる」というたくらみがあるのだという。
 マヤにおける布教活動では十字架ではなく、マリア像を用いたそうで、その理由は先住民たちの儀式(心臓を取り出す)は残酷だと批判したら、磔刑だってそうじゃないかと反論されたので、十字架像は隠さざるを得なくなったからだそうだ。
 本書にはこの他にもさまざまな批判が書いてあるが、残念ながら自分は無知なので、これらの批判の真偽、妥当性を判断するのは難しい。本書で語られていることがすべて本当であったとしたなら非常に残念なことだと思うばかりである。