本書は前川正氏の書簡、日記などを収録した遺稿集である。これを読むと氏は生身の人間であり、男であったことがよく分かる。もちろんだからといって氏への尊敬が薄れるということはない。むしろ生身の人間として、男としての悩みや苦しみを背負いつつも、あれほど高潔に生きたのだと思えばますます尊敬しないではいられないくらいである。
人であれば病状が悪化するほど思考力は低下し、あらぬことを口走ったり、気の利かない看護者に怒鳴り散らしたり、恋人には未練たらしいことを言い募ったりしたとしても致し方ないことである。
けれども氏は最期のときまで看護者への思いやりを忘れなかったというし、恋人に対して紳士的な態度を少しも崩さず、その将来を気遣った手紙を残しているのだから感動せずにはいられない。
また氏は優れた能力を持ちながらも、それを存分に発揮する機会を得られず、両親に孝行したくともそれも思うようにはできない状態のまま逝かねばならなかったのである。この無念さはどうだろう。氏はこういう状況に陥っても、決して捨て鉢になることはなく、自身の努力を続けつつ、他者をもいたわっていたのだから、これにはただただ頭を垂れるほかない。
自分は虚無主義者とまでは行かないにしても、厭世的、悲観的なところが多分にあるのだけれども、前川正氏のような人が存在したのであれば希望を持ってはいけないということはないようにも思えてくる。なんだか『道ありき』を再読したくなってきた。