*偶然
今年は、無神論についてもっと積極的に書いてみようと思っていたら、タイムラインに次のツイートが流れてきた。こういう偶然はちょっとうれしい。
中村圭志 神話・宗教学@seattlelubbock
ドーキンスの無神論関連の本に関しては、アマゾンなどでは宗教信者からの否定的なコメントが書かれることがありますが、書き手に読解力がないことは明らかです。信者が相手にしないのに無神論を説くことに何の意義があるのか?との意見もありますが… https://t.co/9OmjYNKiuP
2022/01/01 13:43:54
*無神論と向き合う信仰
これには同感だ。本当の信仰というものは、無神論から目を背けることではなくて、それを学び、理解し、乗り越えてこそ成立するものではないかと思う。
中村圭志 神話・宗教学@seattlelubbock
現代における無神論の台頭には論理的な必然性があるので、信者がどのような心情をもとうとも、これに向き合わなければどうにもならないと思います。無神論に顔をそむけてどうにかなると思うのは、30年間何もしないでひたすら没落してきた平成の日本のようなもの、あるいは日本の保守のようなもの。
2022/01/01 13:46:13
*宗教と論理
これは自分には理解が難しい言葉だ。とはいえ、宗教においても論理は無視できないということはわかる。
中村圭志 神話・宗教学@seattlelubbock
宗教は第一に情念の問題ですが、情念だけじゃどうにもならないというのは論理の問題です。そして情念がころころ変わってきたというのは歴史の問題。これからの宗教学は、教団の調査などより、知性の歴史の勉強と、論理的思考にかかっていると思います。宗教信者にとっても、これからは論理の時代です。
2022/01/01 13:48:52
この世のすべてを、論理で理解することは困難ではあろう。宗教は特にそうだろう。
ただそれでも明らかに論理に反する宗教の未来は明るくはないだろう。論理によって結論が出せないものであれば信じることは可能かもしれないが、論理によって明確に否定されるものを信じることは無理だからだ。少なくとも私の場合はそうである。論理で判定できない論理を超えるものは信じられもしようが、論理的矛盾まみれの宗教を信じるのは無理だ。
*ドーキンス
中村圭志 神話・宗教学@seattlelubbock
というわけで、私は必ずしもドーキンスらの宗教観に全面賛成ではないのですが、ドーキンス抜きで宗教は語れないと思うので、しばらくは、(図像学だの死生学だの映画や小説の話だのと並んで)無神論の話を投稿していきますので、おつきあいくださいましな。
2022/01/01 13:50:44
さて、この後どんな話が続くのか楽しみだ。
ちなみに自分の場合は、ドーキンスの宗教批判は若干遠く感じることがちょくちょくある。たぶん自分は日本的な宗教観を持っているのに対して、ドーキンスはキリスト教を念頭に置いて話すことが多いせいだろう。これは宗教的文化的背景が異なるのだから、致し方のないことであり、自然なことでもあるのだろうと思う。























