*幸運
中村圭志氏のツイッターを見たら、最近、自分が考えていたテーマに関連したことがツイートされていた。感想を書いてみたい。
何かについて考えていると、よそからその考えを補完・前進させるヒントが得られるものだが、どうやら今回もそうなったようだ。感謝。
*超越者
中村圭志 神話・宗教学@seattlelubbock【神のパズル④】いわゆる「神の存在証明」がうまく機能しないのは、《時空の外にいて宇宙の原因や設計者として働くとされる神もまた、時空の中の存在者のようにしか語れない》からです。あるいは《概念を超えて実在するとされる神もまた、概念として語られたものとしか言いようがない》からです。
2022/01/07 09:38:43
「概念を超えて実在するとされる神もまた、概念として語られたものとしか言いようがない」というのは、まさにその通りだ。
漠然とながら、神は人知を超えているなら、人には神のことは分からないだろうし、人には神のことは分からないなら、「人には神のことは分からない」ということさえ分からないだろうと考えてはいたのだが、これよりよほど端的で分かりやすい。
*滑稽
中村圭志 神話・宗教学@seattlelubbock【神のパズル⑤】同様のジレンマは他にもあります。たとえば《信者は自分を超えた絶対者を語る。しかし語っている当人は絶対じゃないので傍目には滑稽だ》。あるいは《信者は神を持ち出すことで自分が謙虚であるとアピールする。しかしそんな神を知っていると吹聴するのは傲慢以外の何ものでもない》
2022/01/07 09:39:11
先日、人には神のことは分からないと言いながら、さも自分は神のことを分かっているかのように振る舞い、他者の神認識は間違いだと断じることのおかしさについて考えたばかりなので、こういうツイートを読めたのは愉快である。こういう滑稽と傲慢はそれほど珍しいことではなく、よくあることなのだろう。
でもどうしてこんな滑稽や傲慢が生じるのだろう? 神そのものと、自己の心に描いた神概念との違いに無自覚で、その境界が曖昧だから、神のことは分からないと言いつつ、神について他者に説教することに矛盾を感じず平気でいられるのだろうか。よく分からぬ。