*まえおき
 神の存在に関する議論について、興味深いツイートがあったので保存し、感想を書いてみる。


*無いことの証明?
 率直な感想を言うと、「神が無いとは証明できない」という切り返しは、その人の願望の強さを表しているようだ。ナンセンスな主張をしてまでも、神は存在してほしいと願っているのだなと。
 信仰心が強いということは、この願望が人並み外れて強いということであろうし、信者の中にひどい自己中がいるのもこれがためだろう。


*半々
 恥ずかしながら、自分はドーキンスの著書を読むまで、神が存在するかしないかは半々だという考え方の間違いに気付けなかった。たぶん、自力では一生気付けなかっただろう。ドーキンスに感謝。
 読書はこんな風に、自力では気付けないだろうことを気付かせてくれるので楽しい。


*全知全能
 「神は全知全能である」という定義は、個人崇拝を止めるために役に立つところはあると思う。「神は全知全能である、教祖は間違うことがある、教祖は全知全能ではなく、神ではない」みたいに。
 これには「言葉遊び」的な反論もできなくもないが、とりあえず自分の場合はこの考え方で個人崇拝という悪癖は止めることができた。


*信仰を失う時
 どうやら、とある宗教の信者だった頃の自分は、このトリックに完全にハマっていたようだ。特に③はよく活用していた。「自分の小さな頭で、あれやこれや考えても仕方がない。教祖は仏陀であると信じて、ついて行くだけだ」みたいに。
 今にして思えば、こういうことを繰り返し、自分に言い聞かせていた頃は、ほぼ信仰は失われていたということなのだろう。だから一生懸命に信仰にしがみつこうとしていた。
 いわば、その時の自分にとって、信仰は藁だった。傍から見ればそれを掴んでも助かるわけがないのは明白だろうが、それでも掴まないではいられなかったのだ。これは信仰を失った者の多くが経験していることなのだろうと思う。