*偶然?
 前記事を書いたあと、何気なく三浦綾子のエッセー集を開いてみたら、こんな文章があった。これはまさに前記事でテーマにしたものである。こういう偶然があるから読書はおもしろい。
 神の実在を証明できないということは、神の不在も証明できないということにほかならない。
 証明できないものを「ある」というのも、「ない」というのも、実は同じく非科学的なことなのだ。もっとも科学的な言葉は、
 「神はいるか、いないか、どちらかです」
 ということになろう。

(『あさっての風』三浦綾子、角川書店〈角川文庫〉、昭和52年、p.71)


*可能性
 「神はいるか、いないか、どちらかです」というのは、その通りなのだろう。
 しかし神がいる可能性と、いない可能性は半々ではない。たとえば神の存在は人類が何千年かかっても証明できておらず、現代では自然の成り立ち、人類の起源など、多くのことが神を持ち出すことなく説明できるようになっている。これらを考慮すると、神がいない可能性は非常に高く、いる可能性はほとんどないと結論するのがもっとも理性的な態度と言えるだろう。
 とある人は「神がいるのか、いないのかは分からないが、多分いないと思う。だから自分は不可知論者ではあるが、限りなく無神論寄りの不可知論者である」と言っていたが、理性的な人ほどこれに同意する人は多いのではないだろうか。
 「神はいるか、いないか、どちらかです」と考える時は、前記事にある思考のトリックにはまりこまないよう気をつけることが大事である。