*中期
st氏のあと、少ししてから、shalom氏との交流もはじまりました。
ここでは、その頃のやりとりをまとめてみます。
以下は、「アドラー心理学」のコメント欄でコピペです。
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st氏のあと、少ししてから、shalom氏との交流もはじまりました。
ここでは、その頃のやりとりをまとめてみます。
以下は、「アドラー心理学」のコメント欄でコピペです。
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自由さん
人は人、自分は自分 いいですね!
自分の生き方は意識であれ、無意識であれ、自分なのですから、
自分の心の表れ、自分の責任だと思います。
それほどの焦りはありませんが、自分の人生を生きたいという願望はそれなりに強いですね。
2018/9/27(木) 午前 9:03[ shalom ]
shalomさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
本当に、自分の人生を生きたいものですね。
と書きつつ、なんとなしに、我が人生に悔いなしを思い出してしまいました。いつかはこんな心境になりたいものです。
・石原裕次郎 我が人生に悔いなし
https://www.youtube.com/watch?v=ufCEPrvMCf0
2018/9/27(木) 午後 9:09[ 楽山 (自由) ]
> shalomさん
>自分の責任だと思います
責任を一切取ったことのないシャローム
2018/9/28(金) 午前 1:15st5402jp
> st5402jpさん おはようございます。
【口語訳】創世記
4:13 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
4:14 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
4:15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
私はカインです。負いきれない罰、責任、重荷を負っています。主なる神はわたしにも一つのしるしをつけてくださいました。
stさんあなたにもです。すべての人にです。
このしるしは主なる神の恵みです。
2018/9/28(金) 午前 6:29[ shalom ]
> shalomさん
カインは、聖書のそこに至って、ようやく、わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう・・と、弱みを神の前にさらけ出しています。それゆえ、神はカインを殺さず、むしろ守ろうとしています。
>私はカインです。負いきれない罰、責任、重荷を負っています
では、あなたがカインのように、罪を犯したことを、あなたのブログの記事で明らかにしてください。あなたの罪は、あなたが犯したのだから、あなたのものです。
2018/9/28(金) 午前 8:50st5402jp
負いきれない?
あなたの行いです。正直に告白するだけです。キリスト者なら出来ることです。
あなたは、悲劇の主人公ではありません。当然のことをしてください。
>stさんあなたにもです。すべての人にです。
私も罪人ですが、あなたに、あなたと同様だと言われる筋合いはありません。私は神の前で、祈りにおいて、故意に飾ったり、隠し事をしたことはありません。私は、神を恐れるからです。
あなたの罪と偽善に、私や、全ての人を、巻き込まないでください。
2018/9/28(金) 午前 8:50st5402jp
念のため
>人は人、自分は自分 いいですね!
あなたは、好きなように信じたいようですが、信仰においては、キリストは、ただ一人ですから、あなたが前に言っていた、信仰は人それぞれ、というのは、成り立ちません。
人それぞれ、というのは、キリストに出会う経緯や、導かれ方や、使命のこと、つまり、人間についてのことです。キリストが、人によって変わるわけではありません。
2018/9/28(金) 午前 9:02st5402jp
> st5402jpさん
自由さんがコメント欄に自由にコメントできるようにされたのに、つい先ほどコメント書いて投稿したコメントが表示されませんね。どこかに行ってしまったようです。
この記事に自由さんが紹介された
アドラー心理学サロン
https://twitter.com/adler_salon/
で「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」に登場する哲人に青年が自分の主張をぶつけるように、stさんの主張をぶつけてみたらどうですか。
聖書の読み方は人それぞれ自由ですね。
その自由がなければ教条化されてしまいます。
だから神はアダムとエバに食べるのも食べないのも自由ですよと神に対する信仰のあかしとして自由意思を与えられたのです。
聖書は人の言葉で文字で書かれていますが、神の言葉です。
しかし、神の言葉は霊であり、いのちです。
【口語訳】新約・二コリ
3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
shalom!
2018/9/28(金) 午後 1:03[ shalom ]
> shalomさん
>聖書の読み方は人それぞれ自由ですね。
>その自由がなければ教条化されてしまいます。
でたらめ言わないように。聖書の読み方が人によって違う、というのは、人それぞれ自由ということではありません。
人が神の意志を厳密には知らないから違ってくるだけです。
したがって、その自由が、あなたやカルトのように勝手になって、あなたやカルトのように教条化されることがあるのです。
2018/9/28(金) 午後 7:42st5402jp
>
だから神はアダムとエバに食べるのも食べないのも自由ですよと神に対する信仰のあかしとして自由意思を与えられたのです。
<
これは、聖書の読み方つまり解釈と、神が人に与えられた自由意志つまり選択の自由とを、混同しています。聖書は、自由に意味を選択してよい書物ではありません。あなたは、気安いですね・・。
2018/9/28(金) 午後 7:42st5402jp
>聖書は人の言葉で文字で書かれていますが、神の言葉です。
>しかし、神の言葉は霊であり、いのちです。
自由と言いながら、神の言葉という。そして、「霊」という言葉を付けて、神秘的に見せかける。この恣意こそが、霊に仕えるといって、文字を悪用することになります。
でたらめ言わないように。
2018/9/28(金) 午後 7:42st5402jp
このように、シャロームshalomは、理路がまるで成り立っていません。口から出まかせを、それらしく見せかけて、言ってきます。だから、真に受けて鵜呑みにしないことが大切です。
これは、訂正不能の教条に浸って、自分を見つめることの出来なくなった人の定めのような成り行きなのでしょう。
2018/9/28(金) 午後 7:56st5402jp
ここは、記事にします。
2018/9/28(金) 午後 7:57st5402jp
> st5402jpさん
ご自由に。
2018/9/28(金) 午後 8:54[ shalom ]
おはようございます。
お二人のコメント読ませていただきました。
人それぞれで済むこと、済まないこと…自分なりに考えてみましたが、正直、考えは中々まとまらない。自分にとってこれはけっこうな難題のようです。
2018/9/29(土) 午前 7:33[ 楽山 (自由) ]
> 自由さん おはようございます
人は神が存在しているのか、存在していないのかすら証明できないのですから、人が有限で、相対的で、死すべき人としての自分を足場にしていては「正直、考えは中々まとまらない。自分にとってこれはけっこうな難題」ですね。それは私にとっても同じです。この難題に誠実に向き合い、迷い、葛藤しながら生きていくことが大事だと思います。
ありがとうございました。
2018/9/29(土) 午前 9:45[ shalom ]
ありがとうございます。そう言っていただけると、気持ちが安らぎます。
2018/9/29(土) 午前 10:49[ 楽山 (自由) ]