*つづき
前記事のつづきです。これは、(3_6)までつづく予定です。
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ゲシュタルトはいい訳語がないのであえてゲシュタルトのまま使っています。
統合でもいいけど。
2018/10/10(水) 午前 1:03[ 易坊 ]
私がアンビバレントと言ったのは、自由さんの記事が両論併記しただけで終わってしまっている点です。
2018/10/10(水) 午前 1:09[ 易坊 ]
批判の適正についてはケースバイケースだから、あとは具体的にその批判を批判したらいいです。
ブログのやり取りは言語ゲームなので、どうしてもルールは移ろいでいきます。
なるべく語の定義や目的など、ルールを当事者間で確認しながら進めることで適正を維持できます。
2018/10/10(水) 午前 1:18[ 易坊 ]
>その辺りは、私も、shalomさんと大体同じですね。
議論するにしても、人格批判はできるだけ止めておいた方がいいだろうし、
ましてや人格否定よくないですね。
人の古傷にむやみに触れるのもよくない。
ただこれはあくまで私の信条であって、他者に強要することはできないのだけど…。
強要する必要はないけど、批判したらいいです。あるいはルールの確認をしたらいいです。
stさんはシャロームさんに人格攻撃をしています。
2018/10/10(水) 午前 2:52[ 易坊 ]
ときには批判から一歩踏み込んで、諌めたり戒めたりすることも必要です。
判断は自分の信条に従えばいいです。
強要とは異なります。
ブログの議論には、裁判や競技ディベートのようにジャッジはいません。
ジャッジがいないから、当事者が互いにルールを維持するしかありません。
2018/10/10(水) 午前 3:00[ 易坊 ]
シャロームさんがゲシュタルトを確認したかったのは、アンビバレンスと統合失調の関係に興味があるから、ですか?
2018/10/10(水) 午前 3:10[ 易坊 ]
人格攻撃のスペシャリストが、易坊とシャロームです。
易坊とシャロームは、いつ見ても、嘘を練り込んだ金太郎飴みたいです。
2018/10/10(水) 午前 4:52st5402jp
つきあっていても、彼らの狙い通りに、消耗し疲労するだけなので、記事で全否定してゆきます。相手に改めさせる批判ではありません。読者に注意と警戒を促してゆきます。
2018/10/10(水) 午前 5:05st5402jp
私のほうに、今までの、シャロームの侮辱と、易坊の荒らし、という経緯があるので、見方にバイアスがかかっているかもしれませんが、どこがバイアスなのか、もはや分かりません。
ただ、私は、この二人、尋常ではないと思うので、全否定するしかない、ということに変わりはありません。
2018/10/10(水) 午前 5:09st5402jp
おはようございます。
昨夜は、shalomさんにきつかったかなあと後悔してましたが、コメントを読み返すとやっぱりそんな感じですね。失礼しました。
2018/10/10(水) 午前 5:54[ 楽山 (自由) ]
やはりどうも自分には批判的なことを言うのは向いてないですね。
物言えば唇寒し秋の風とはよくいったもんです。
2018/10/10(水) 午前 5:55[ 楽山 (自由) ]
> stさん
バイアスがかかってるかどうかは、
自分の場合は、批判箇所を見つけたら、それと同じだけ善い点を見つけられるかどうかで考えたりすることがあります。
批判箇所は十あるけど、善い点は二つしか見つけられなければ、自分はかなりアンチ寄りの立ち位置なのかなあとか。
もっともこれは対象が尋常でない場合は、あまりアテにならないですけど、それでも大雑把な目安にはなるんじゃないかとは思います。
2018/10/10(水) 午前 6:13[ 楽山 (自由) ]
立ち位置といえば、
少し前、ツイッターを見てたら、某教団の信者が、
信者とアンチが同じことを言ったのに対して、
信者には「いいね」として、アンチにはダメ出ししてたので、
その点を問いただしてみると、
「自分は信者だから、信者を支持します!」みたいに、ぬけぬけと言ってた。
これには、正直な人だなあと思わず笑ってしまいましたよ。
2018/10/10(水) 午前 6:53[ 楽山 (自由) ]
> 自由さん
私は自由さんの気持ちが少しはわかるような気がしますので、共感的冗談?でした。受け流してくださりありがとうございます。
受け止め方の選択も自由で、いつも人それぞれだと思います。
2018/10/10(水) 午前 8:23[ shalom ]
> 易坊さん
「私がアンビバレントと言ったのは、自由さんの記事が両論併記しただけで終わってしまっている点です」
いつも両論併記で、自分の考え、立ち位置をはっきりしないのは確かに、その人との関係、対話の在り方に戸惑ったりすると思いますが、それはその人が自分の考え立ち位置をはっきりさせることで、自分の中や人との間に軋轢が起こるのが苦手だという、その人が人の心情を大事にする人か、論理的なことを大事にする人かいう気質の違いであったり、または体験的に議論、論争を避けたいということもあるような気もします。
2018/10/10(水) 午前 9:19[ shalom ]
私事ですが、私の連れ合いは人の話をよく聞くことがとても上手ですが、自分の考え、意思をはっきりしませんし、しようとしても、うまく言葉にすることができないようですね。つまり八方美人のように感じてしまうことがあります。私は当たり障りのないことは話できても、それ以上のことはあまりできないなと感じたりしますが、でも人にはとてもやさしいいい人だと言われていますね。隣近所の人から良くいろんなものをもらうというご利益があります。私にとっても結構、聞き上手ということではとても助けられていると思います。それで、私は私、人は人だということができているとも思いますし、今年は50年の記念の年なんです。めでたし、めでたしということでしょうか。(笑)
2018/10/10(水) 午前 9:19[ shalom ]
> 易坊さん
「シャロームさんがゲシュタルトを確認したかったのは、アンビバレンスと統合失調の関係に興味があるから、ですか?」
それは全くありません。
ゲシュタルトという言葉は心理学、カウンセリングでよく聞いて知っていましたが、その意味がよくわからず、日本語に変換したかったからです。統合でいいということで納得しました。
ありがとうございました!
2018/10/10(水) 午前 9:42[ shalom ]