*中期
 「読みたい本はいっぱいあるけれど…」のコメント欄から、コピペしました。
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自由さん 寒くなりましたが、お変わりありませんか。

私は年のせいもあり目が疲れやすく、本を読むことがすこし億劫になってきました。
でも最近自分の小さな本棚にも買ったまま積読状態の本が結構あることに気が付きましたので、ふと取り出しで読むようにしています。読んだ本にも、また読んでみたくなり読んだりしています。本屋に行っても、もう厚い本には手が出ませんので、文庫本のような手軽な本しか手に取らなくなりましたね。その時心にかかること、気になるテーマの本がやはり読みたくなります。でも私にとって本の中の本はやはり聖書ですね。(笑い)風邪などひかれないようにお過ごしください。
2018/10/31(水) 午前 7:51[ shalom ]



こんばんは。お陰様で元気にしてます。ほんとにどんどん寒くなってますね。shalomさんもお体にはお気をつけて…。
自分も積読で放置してるやつはありますね。最近の文庫本は活字が大きくなってるものもあって、あれは有り難いです。
shalomさんは、聖書という中心となるものがあっていいですね。これは、ちょっとうらやましいかも…自分にはそういう書物はないので。
2018/10/31(水) 午後 8:08[ 楽山 (自由) ]



> shalomさん

>本の中の本はやはり聖書ですね。(笑い)

また{笑い}を付けるんですね。

では、なぜ、聖書から、悔い改めの信仰を読み取らず、非を認めず、罪を認めないのでしょうか。
2018/11/1(木) 午前 3:07st5402jp



おはようございます。
ふと思ったのですけど、
お二人の、(笑い)に対する感覚の違いは、
聖書のことも、明るく軽やかに語りたいという立場と、
聖書のことは真摯、真剣であろうという立場の違いから来ているのでしょうか。
2018/11/1(木) 午前 7:28[ 楽山 (自由) ]



あともう一つ、
聖書の話が出ているので、思い出しましたが、
以前、他所でクリスチャンの方が、一番大事なのは復活ですと語ってて、
それに対して自分は、「自分が聖書で一番感動したのは、復活よりも、鶏が泣いた後のペテロの涙や、キリストが十字架上で彼らをゆるしたまえというところだった。復活には感動してなかった自分は、もしかしたらキリスト教的にはズレてるのかな」と思ったのでした。

コメ欄は開放しときます。
2018/11/1(木) 午前 7:32[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん

私は真剣であろうと努めています。しかし、シャロームの、明るく軽やか、というのは、嘘だと思います。

自分が聖書で一番感動したのは、復活よりも、鶏が泣いた後のペテロの涙や、キリストが十字架上で彼らをゆるしたまえというところだった。復活には感動してなかった自分は、もしかしたらキリスト教的にはズレてるのかな」と思ったのでした

ほぼ同感ですが、ズレてないと思います。

シャロームは、復活は譲れないと前に言っていましたが、感情も思考も、ズレていると思います。
2018/11/2(金) 午前 2:55st5402jp



> 自由さん

私が信仰生活において心にとめている3つの原則があります。

その一つ、自立の原則は「私は自分の思い、感情、言葉、行動には自分に責任があることを認め、受け容れ、決して他人のせいにして責めたり、裁きません。」

いつもできることではありませんが、自分の自立のため、自律を保つためにとても役に立つことがあります。
聖書を読んで感じることは、人ぞれぞれだと思いますが、生ける神の御手のなかに守られ、生かされている自分にふと気づかされることで助けられます。我が家の憲法みたいなものでしょうか。トイレに貼ってあります。(笑)
2018/11/2(金) 午後 1:10[ shalom ]



> shalomさん

「私は自分の思い、感情、言葉、行動には自分に責任があることを認め、受け容れ、決して他人のせいにして責めたり、裁きません。」

あなたの嘘、あなたの私に対する侮辱、あなたの悔い改めない姿勢を信仰だと言う背教について、どう責任を取りましたか。
2018/11/2(金) 午後 5:34st5402jp



> shalomさん

>自分の自立のため、自律を保つためにとても役に立つことがあります。

あなたは、自立ではなく、何も感じないでいるために、自分のために、他者を、侮辱し、無視してきました。何の責任も取っていません。
2018/11/2(金) 午後 5:37st5402jp



> shalomさん

生ける神の御手のなかに守られ、生かされている自分にふと気づかされることで助けられます。我が家の憲法みたいなものでしょうか。トイレに貼ってあります。(笑)

憲法とは、最近の記事に書いた、あなたの有頂天造語に過ぎません。あなたの場合、それは、あなたの自己中と言うんです。

生ける神の御手によって、あなたは、裸にされ、今まで、しでかしてきたことの、卑怯さ、罪深さ、そして、偽善を、永遠の国で、問われ続けるでしょう・・トイレの神様?へ。

よく平気で書いて来れるもんだな・・
2018/11/2(金) 午後 5:41st5402jp



> shalomさん

今も笑っているというのが、すごいです。
ヘラヘラ、から、ゲラゲラ、に変わったんじゃないですか。

狂っているというより、今までのことも考えると、
かなりはっきり、サイコパスだと思います。
2018/11/2(金) 午後 5:50st5402jp



> shalomさん

あなたの常識は狂っています。

>感情、言葉、行動には自分に責任がある

あなたの言動、
コメントが多いから荒らし、歓迎していないから削除する、私を、エホバの証人に似ている、被虐待者が長じて虐待者になった、(自分に)依存している、等々、

何も責任取っていませんね、だから、今も、これらは生きているのです。私のほうの記事は残っているのです。

記事もコメントも、やめなさい。そうすれば、福音を阻む要素が一つ減ります。あなたは人間ではなく、要素です。

なんて気持ちが悪いのでしょう。最近だけでも、あなたについての、ひどい状況が明らかになっているのに、まだ、笑っている、身の毛がよだつ・・

キリスト信仰の破壊者、そして、糞尿の神、ボロクソ幅員のシャロームへ。
2018/11/2(金) 午後 6:05st5402jp



とりあえず、記事にします。HN、省略しません。
2018/11/2(金) 午後 6:11st5402jp



ここでのシャロームの二つのコメントで分かるように

明るく軽やかに語る文脈ではないときに(笑い)を入れるのは

「明るく軽やかに語りたい」のではなく、

シャロームの、我を張るための、嘲笑いです。
2018/11/2(金) 午後 6:19st5402jp



聖書のパリサイ人は、罪の自覚はありませんでしたが、教条主義と戒律主義を隠さなかったので、分かりやすかったわけです。
シャロームは、自分に都合も悪いこと総てを隠して、無責任なのに、見え透いた嘘を書いて、白々しい讃美言葉を書いて、笑っています。
シャロームは、パリサイ人より、悪質ではないかと思います。
2018/11/2(金) 午後 6:51st5402jp



一般に、柔和で敬虔を旨とするキリスト者は、発言は控えめで、批判も殆どしません。だから、議論の訓練を殆ど受けておらず、讃美言葉が、実は、自慢話であっても、気づかず、受け入れてしまうのでしょう。そこに、シャロームは、つけ入ってきたのだろうと思います。今日のコメントを見て、ますます、そう思いました。
2018/11/2(金) 午後 6:55st5402jp



>shalomさん

shalomさんのコメントを読んで、なんとなしに、『自由と規律』(岩波新書)を思い出しました。ずいぶん前に読んだという記憶はあるけど、内容は全然思い出せないので、近いうちに再読してみます。

あとは、先日から自分にとっての聖書は何だろうと考えてみて、漱石を思いついたので、「硝子戸の中」を久しぶりに少し読んでみました。もう何回も読んだ文章だけど、静かで寂しい心持ちがして、いい感じです。
2018/11/2(金) 午後 8:07[ 楽山 (自由) ]



>stさん

shalomさんとの間にどんなことがあったのだろうと思ってましたが、午後 6:05のコメントで、少し知ることができたように思います。

ところで、shalomさんが文章スタイルを変えないのは、批判をスルーし、何も堪えてないというよりも、それによって抗議、抵抗しているという可能性はないでしょうか。

shalomさんが何を考えているかは、私には確かなことはわかりませんが、
(笑)を強く批判されるほどに、(笑)を使おうとするというのはありそうな気はします。

北風と太陽の話で、旅人の外套をはぎ取ろうと北風が強く吹くほどに、旅人は外套を強く押さえたというみたいに。

stさん、shalomさん、もし見当違いの感想だったら、失礼。
2018/11/2(金) 午後 8:11[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん

>抗議、抵抗しているという可能性はないでしょうか

おっしゃるとおりです。悔い改める気がないのだから、そうしているつもりなのでしょう。

>(笑)を強く批判されるほどに、(笑)を使おうとするというのはありそうな<

ありそうな、というより、そのとおりなのです。しかし、受け入れたら、それなりの増長しか返っては来ないわけです。
北風と太陽については、前にも、言われたような気がします。私は、最初から、厳しかったわけではありません。問えば問うほど、はぐらかし、世辞を言い、そして、非承認、削除、侮辱、という流れが、この7年にあったということです。太陽に自己正当の確認をし、北風に不感不応の境地、この、何も解決しないで安穏としているのが、経過と結果です。
2018/11/2(金) 午後 9:05st5402jp



参考になるので、ここも記事に追加しておきます。
2018/11/2(金) 午後 9:11st5402jp



私には、信仰を、世辞で済まされては、たまらない、という気持ちがあります。罪の自覚のないキリスト者は、ありえません。
2018/11/2(金) 午後 9:13st5402jp



> 自由さん

2018/10/31(水) 午前 7:51の私のコメントは全く自由さんに対するものであって、他の誰かを想定したコメントではありません。
それに笑わないことが真剣さの証しになるかどうかは私には理解できませんが、それもその人の選んだ生き方なのでしょうから、私がとやかく言うべきことはありませんね。
笑いは人間関係、対話の潤滑油だという考えもあるようですし、福音寄席、落語によって伝道活動をしている人もおられるようです。人さまざまの生き方があるようです。
2018/11/2(金) 午後 10:47[ shalom ]