*つづき
 前記事のつづきです。「読みたい本はいっぱいあるけれど…」のコメントコピペはこれで終わりです。
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>shalom さん
>自由さんは何か運動をしていますか?

私も、自転車には、よく乗りますよ。
川沿いの道を選んで、遠くに出かけるとか。
2018/11/7(水) 午後 7:51[ 楽山 (自由) ]



>stさん
>私は、気を使うべき時と所においては、また、相手に対しては、精いっぱい、気を使っているつもりです。

これは分かります。
stさんは、基本的に、丁寧、柔和な対応をなさってると思います。
2018/11/7(水) 午後 7:52[ 楽山 (自由) ]



ところで、ようやく、探してたツイートを見つけました。
私は、幸福の科学を批判してるときに、信者から、粘着質とか何とか、さも精神的な問題を抱えているかのように言われたことがあるので、このツイートは身につまされるものがあります。
このジレンマは、いろいろな場面に共通するものかもしれません。

>瑠條あきら
>ひか輪の危険性は実際にセミナー行って上祐の二面性に気づかない限り分かることはないんだけども、躍起になるあまり団体に興味を持ってる人に強く言えば言うほどあの団体によくある“そいつは精神病理だ”という主張は信憑性を増してしまうというジレンマ。ほんと頭が痛い…
https://twitter.com/Satian64_F/status/1044929802820435970
2018/11/7(水) 午後 8:15[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん

>幸福の科学を批判してるときに、信者から、粘着質とか何とか、さも精神的な問題を抱えているかのように言われたことがあるので、このツイートは身につまされるものがあります。

いや、驚きました。批判については・・猛者・・?

批判するときには、精神異常扱いは、双方に起こりやすいと思います。大事なのは、根拠を示しているかどうかだと思います。

私のことを、ヨシュアは、精神病と言い、シャロームは、サイコパス扱いしました。とくに宗教では、荒らしやカルトや偽善者の常套手段だと思います。根拠もなく。

私の批判の根拠は、言動の事実であり、そこから推測されるすべてに広げてゆきたいと思っています。

最初に何を根拠に批判するか、傷めつけられても根拠に立ち返って語れるかどうか、そこを意識することで、立ち位置を確認してゆくことが必須になります。必要なら修正し、立ち直るために。
2018/11/7(水) 午後 10:38st5402jp



コメントのと投稿ボタン押したら、消えた。
2018/11/7(水) 午後 10:41st5402jp



再表示で、OKでした。
2018/11/7(水) 午後 10:45st5402jp



1つ目コメント投稿して、不十分と思って、書き加えて2つ目の投稿ボタンで、消えて、再表示で、OKでした。1つ目は、こちらで削除しました、という短い経過です。失礼しました。
2018/11/7(水) 午後 10:48st5402jp



>stさん

猛者ではないですけど、幸福の科学批判者としては古参の方かもしれません。

批判の根拠に事実をおくべきというのは、その通りだと思います。
さらにいえば、この事実は、誰もが確認することが可能な事実であることが理想と思います。
2018/11/8(木) 午前 7:04[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん おはようございます

「この事実は、誰もが確認することが可能な事実であることが理想と思います。」

だれもが確認することができる事実なんて理想ではあっても可能でしょうか。そんなことができれば争い事はすぐに解決できるし、国会の不毛な議論は決着できるでしょう。
「凡人のたわごと」というブログでそのことについて激論がなされていますよ。
登場人物は凡人さん、エグゼルさん、易坊さんですが。
むずかしい「哲学」としての理解の仕方はともかく、お互いの言い分はもっともなのですが、行くつく先は?
2018/11/8(木) 午前 9:49[ shalom ]



stさんは「言動の事実であり、そこから推測されるすべてに広げてゆきたいと思っています。」とのことですが、

「そこから推測されるすべてに広げてゆきたいと思っています。」とは・・・
「誰もが確認することが可能な事実であるあることが理想と思う」ことではありませんし、所詮、自分の事実認識に合わせて推測されるすべてに拡大されたり、歪曲された推測…邪推、決めつけとさらに妄想、自分の深層心理によって生じる投影や反動形成などの防衛機制などによる批判、人格否定と人格攻撃に陥りやすいのではないでしょうか。私にも、だれにも起こり得ることですが。

「シャロームは、サイコパス扱いしました。」

stさんは最初、私に対して解説付きでサイコパスだと言われ、その後も繰り返されましたが、私の方からstさんに言ったことはありません。

・幸福の科学が出版した教祖長男“宏洋氏の霊言”がひどい! - やや日刊カルト新聞
http://dailycult.blogspot.com/2018/11/blog-post.html

読んでみましたが、とても最後まで読む気にはなりませんでしたね。
2018/11/8(木) 午前 10:03[ shalom ]



> 自由さん

>事実は、誰もが確認することが可能な事実であることが理想

まあ、理想ですね。実際には、特にネットでは証拠はないことが多いです。シャロームがそうです。削除の証拠は、削除したのだから、無いわけです。私の記憶しかない。

そういう場合、そういうことを仕出かしそうな人だという傍証を示し続けることに・・、今、なっているわけです。

刺激して引き出すという罠のような作為は苦手なので、推測で批判して、返しがあれば、表れるだろうと思っていて、返しが無ければ、そのまま、批判を続けることに・・、今、なっているわけです。出てくるものが、さらに、傍証となることを期待して。

記憶の事実から、いくつかの属性を推測して、さらに、本性を推測します。推測ですが、何年も変わらなければ、本性だろうということになります。

今回は、今までの批判の思路の履歴みたいなものを辿ってみた感じですが、策略ではないので、オープンにして言ってよいと思っています。このことも、また、批判のプロセスですから。つまり、批判する目的が、反省しないような、この人に、信仰を語ってほしくない、という
2018/11/8(木) 午前 10:12st5402jp



・・(尻切れ)・・反省しないような、この人に、信仰を語ってほしくない、という思いがあるからです。

理路ばかり言っているようですが、いちばん大事なのは、人間としてどうなのか、ということです。

理路とか論理とかは苦手です。読書障害傾向のこと書きましたけど、それで、哲学書は読んだことないし、小説も殆ど読みません。ただ、一つを読むのにいくら時間かけてもよいと思っている、詩とかは、若い頃から好きで、結局、情緒的な人間なのかもしれません。

理路と言っているのも、情緒面を含めて直観として、人間としておかしい、というところを見つけようとしているみたいです。
2018/11/8(木) 午前 10:26st5402jp



> shalomさん

stさんは最初、私に対して解説付きでサイコパスだと言われ、その後も繰り返されましたが、私の方からstさんに言ったことはありません。

私に当てはめて、虐待された子供が、成長して虐待者になる、ということを、シャロームは言ったのです。これは、サイコパスの特徴として、よく言われることです。シャロームは、「虐待」という犯罪性の高い言葉を、対象および主格として、私の人生に当てはめたのです。そのことは何度も私の記事に書いてきました。

忘れるというのは、幸せなことでしょうか。とぼけてゆくというのも、幸せなことでしょうか。自己中心の信条に凝り固まると、記憶さえも都合よく消えるのでしょうか。
2018/11/8(木) 午前 10:36st5402jp



ひょっとして、サイコパスと、虐待というのが、関係ないと思っていた?・・・だったら、それで、虐待を語ることに呆れます。
2018/11/8(木) 午前 10:40st5402jp



「そこから推測されるすべてに広げてゆきたいと思っています。」とは・・・
「誰もが確認することが可能な事実であるあることが理想と思う」ことではありませんし、

それで、私は、理想ですね、と書いたわけです。
2018/11/8(木) 午前 10:55st5402jp



所詮、自分の事実認識に合わせて推測されるすべてに拡大されたり、歪曲された推測…邪推、決めつけとさらに妄想、自分の深層心理によって生じる投影や反動形成などの防衛機制などによる批判、人格否定と人格攻撃に陥りやすいのではないでしょうか。私にも、だれにも起こり得ることですが。

何度も繰り返され、いくつも積み重なれば、否定できないこととして、ほぼ一定の方向に収束してゆきます。シャロームが弁明が可能なら、一つ一つを説得力をもって否定するべきでした。実際には、そういうことは、一度もなかったのです。

事実認識、深層心理、反動形式、防衛機制、この熟語頻発は、まさに、易坊
2018/11/8(木) 午前 10:56st5402jp



>私のことを、ヨシュアは、精神病と言い、シャロームは、サイコパス扱いしました。とくに宗教では、荒らしやカルトや偽善者の常套手段だと思います。根拠もなく。
>2018/11/7(水) 午後 10:38 st5402jp

>「シャロームは、サイコパス扱いしました。」
>stさんは最初、私に対して解説付きでサイコパスだと言われ、その後も繰り返されましたが、私の方からstさんに言ったことはありません。
>2018/11/8(木) 午前 10:03 [ shalom ]

>私に当てはめて、虐待された子供が、成長して虐待者になる、ということを、シャロームは言ったのです。これは、サイコパスの特徴として、よく言われることです。シャロームは、「虐待」という犯罪性の高い言葉を、対象および主格として、私の人生に当てはめたのです。そのことは何度も私の記事に書いてきました。
>2018/11/8(木) 午前 10:36 st5402jp
2018/11/8(木) 午後 7:35[ 楽山 (自由) ]



先日の悔い改めについてもだけど、
このサイコパス扱いについても、
両者で、お互いの認識について、
話し合ってみるといいかもしれませんね。

なかなか難しいかもしれませんけど、
折をみて、少しずつでも…。
2018/11/8(木) 午後 8:00[ 楽山 (自由) ]



>shalomさん
>だれもが確認することができる事実なんて理想ではあっても可能でしょうか。

上の文章を書いたときは、幸福の科学批判のこととかを考えてました。
真偽不明のスキャンダルを根拠に批判する人もいるけど、そういうのじゃなくて、書籍ベースにすべきだよなあとか。

たとえば、私は、佐倉哲さんのやり方は好みではあります。まあこれでも細かい批判はあるかもしれませんが…。

・Buddha and Okawa Ryuho (ブッダと大川隆法)
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html
2018/11/8(木) 午後 8:23[ 楽山 (自由) ]



>stさん
>一つを読むのにいくら時間かけてもよいと思っている、詩とかは、若い頃から好きで、結局、情緒的な人間なのかもしれません。

私は、小説はよく読むけど、詩の方はあまり読んでないです。
でも、stさんの詩は好きですよ。
2018/11/8(木) 午後 8:57[ 楽山 (自由) ]



人間は、過ちを反省し、自らを修正して、前に進みます。ところが、シャロームは、過ちを反省せず、無視して、訂正不能のまま、前に勧めると思っているらしく、何があっても何度でも、何事もなかったかのように、挨拶から始めることが出来るらしいです。

だから、シャロームの発言の信頼度は、ゼロです。たとえ、謝罪や、悔い改めの言葉があったとしても、先日の嘘のこともありますし、私は信用できません。シャロームに可能なのは、キリスト信仰について、記事も、転載記事も、コメントも、書いたり載せたりすることをやめることしかないと思います。
2018/11/8(木) 午後 11:29st5402jp



シャロームに対する免疫というか、彼の、私から言えば寒気のするような白々しい世辞や挨拶に対する抵抗力のない人は、恐らく、コメント欄を見て、シャロームの味方をするでしょう。

ですから、私は、キリスト信仰者として、できることをすればよい、と思っています。出来ることをしました、と言って、その結果が地獄へ落ちることであっても、これしかできなかった、という納得をして、神に、もはや、天国地獄を問わず、生死を問わず、結果をお任せするしかないのです。
2018/11/9(金) 午前 0:22st5402jp



神は自分の味方と信じ込んでいるシャロームもまた似たようなことを言ってくるのでしょう。でも、彼は、天国へ行けると信じ込んでいるところが、私との違いかもしれません。結局、最後は、そこで決着するしかないような7年の成り行きでした。

実際、私は、自分のことを、いわゆる善人ではないと思っています。天国へ?・・行けるのかな、という気持ちがあります。考えていると、気が滅入るので、神に任せるのです。そういう癒しを経験しています。絶対孤独に落ちることなく、残り少ない生涯を生きるための、神からの恵みは、地上で私が分かるのはそれだけだろうな・・と思います。恐れないために。
2018/11/9(金) 午前 0:23st5402jp



天国…。

天国については、自分の場合は、「あかるく、すなおに、あたたかく」ということなのかなと思うようになりました。

自分なりに、宗教の本とか、スピリチュアルな本とか、いろいろ読んだり、考えてみたりしたのですが、最終的には、丹波哲郎が言ってた「あかるく、すなおに、あたたかく」というので十分かなと…。

これを実現するのは、自分には難しいですけど、一歩でも、二歩でも、そっちの方に近付きたいと思ってます。

あとは、最近は、死んだら無になるという考え方にも、さほど抵抗はなくなってきました。それならそれでもいいと…。
2018/11/9(金) 午後 6:50[ 楽山 (自由) ]



孤独と神様といえば、「浜辺の足跡」を思い出します。

・浜辺の足跡|ホントのわたしに出逢うために
https://blogs.yahoo.co.jp/angelsbless4/9640608.html
2018/11/9(金) 午後 7:26[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん

これは、foot print という、有名な話です。そして、シャロームが、自己正当化のために悪用した話です。こういう、神が、キリストが、自分を助けてくれるという話は、戒めと懲らしめの神を思いたくなり人に悪用されやすいのです。
2018/11/9(金) 午後 9:59st5402jp



悪用といえば…

大川隆法は、この詩の神を、守護霊と言い換えて語ってました。
書名は失念したけど、「太陽のメッセージ」という本だったかな。
当時は、この話に感動して、こんな話ができる大川隆法はスゴイと思ってました。

幸福の科学の支部で、講師がこの話を紹介したときに、
おばさんたちは、みんな泣いてたのも覚えてます。
みんな、この話に感動していたようでした。

でも、ずうっと後になってから、
「浜辺の足跡」という有名な詩があると知りました。
この話は、大川隆法がつくったのではなかったと…。

まったく、自分はアホでした。
2018/11/10(土) 午前 7:46[ 楽山 (自由) ]



ところで、詩と言えば、
やっぱり聖書の詩編でしょうか。

前に、通読したつもりではあったけど、
読み返してみると、詩編22以外は、全然覚えてないという…。
また、ちゃんと再読してみようと思います。
2018/11/10(土) 午前 7:48[ 楽山 (自由) ]