*後期
 以下に、二つの記事のコメント欄をまとめました。
 これ以降、 shalom氏と楽山との会話に、st氏が強引に割り込み、やじをとばしてくる形が顕著になっていきます。
 まずは、「★カルト体験 (信仰と疑のバランス)」のコメント欄からです。
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3. shalom2019年01月21日 10:28
自由さん おはようございます
「信仰は100パーセント信じきることが大事であって、少しの疑いも許されない。疑いは悪魔の心だ」といった調子である。
まさに人の心の自由を奪う悪魔の手段、手口であり、悪魔は人の心の王座に君臨し、支配し、さらに自分を隠すのです。神は人の心に罪を犯す可能性があるにもかかわらず自由意思を与えられたのです。なぜなら人を愛し、すべてのいかなることであっても、最善に導くことができるからです。しかし、カルトはそのような神と人との関係、交わりを奪い、神との接触、交わりを遮断し、カルトの世界の外からの情報を遮断し、接触すれば悪魔にとらわれ、罪を犯し、不従順の罪を犯すことだと脅し、また地獄に行くとフォビア(恐怖)によって人の心の自由を奪い、拘束するのです。



4. shalom2019年01月21日 10:28
神は人の心の自由を尊び、自由な心からなる信仰をよろこばれますが、カルトの背後から人の心を支配しようとする悪魔は人の心の自由を100%完全に奪い、隷属させるために程々の自由も決して許しません。罪と不従順の罪の絶対的悔い改めを迫り、要求するのです。そしてまた人は自分の心の自由を自分で保ち、守ることがむずかしいのです。なぜなら、人は自存的な存在ではないからです。



5. 楽山 (自由)2019年01月21日 19:05
>2019/1/21(月) 午前 10:28さん
情報遮断はヤバいですね。
大川隆法の長男宏洋氏も、「社会から隔絶させるように働きかける」団体はだめとしてる。5分56秒くらい。
・【持論】「宗教とは」「宗教の在り方とは」というテーマで少しお話します【宏洋の人生ゼンツッパ!!】
https://www.youtube.com/watch?v=XyKvNk-80WU



6. 楽山 (自由)2019年01月23日 21:48
>2019/1/22(火) 午後 5:34
そういう人は、自分も二人ばかり知ってます。一人は2ちゃんの「幸福の科学統合スレッド」にきてた〇池さん、もう一人は種村ブログに来てた方。
この団体は、天使とか、悪魔とか、霊がどうしたこうしたという話が多い団体なので、普通の人でも、目には見えない霊についてあれこれ気になって仕方なくなったりするんですよね。ここは注意は必要とは思います。



7. 楽山 (自由)2019年01月23日 21:50
ちなみに自分は、幸福の科学を全否定して、撲滅を目指すというところまでは行かず、幸福の科学に入ってしあわせならそれでいいという考え方です。
信者のなかには、幸福の科学のおかげで救われたとして、、信者でいることに満足しているという人もいるだろうし、それはそれでいいんじゃないかと。
ただ信者でいることが苦痛になってきたとか、もう信じられなくなったとかいう人には無理して続けることはないだろうとも思います。
ようは、入退会は自由にしようってことですね。



8. st5402jp2019年01月30日 14:05
「神は人の心の自由を尊び、自由な心からなる信仰をよろこばれますが」、・・実際は、シャロームのほうは、自由な言論を拒否しています。
「100%完全に奪い、隷属させる」・・自分のことじゃないために、好きなようにボロクソ言っている。
「罪と不従順の罪の絶対的悔い改めを迫り、要求する」・・シャロームは、罪と不従順と偽善の罪を犯しながら、悔い改めない。それで、悔い改めをボロクソに言う。そういう詭弁を使って、温和に見せかける分、HSより、たちが悪い。



9. st5402jp2019年01月30日 14:05
※ TVドラマ「クリミナルマインド」から格言
http://toikimi.hateblo.jp/entry/2018/07/11/211656

悪を罰しない者は、悪を行えと言っているのだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

悪人にとっての勝利は、善人が何もしないことだ。(エドマンド・バーク)



10. st5402jp2019年01月30日 14:09
(テモテへの手紙、口語訳)
3:12
いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
3:13
悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
(テモテ3:12-13、新約聖書)

ということが書かれてあります。つまり、自説を正当化するために、聖書に書いてある、書いてあると、だらだら無駄に長い文章を書いて、悪用をする者がいるということです。



11. st5402jp2019年01月30日 14:09
人間の主体性と自由について、シャロームは、相当に軽視してきたと思いますが、ここでは、手のひらを返したように、神が主体性と自由を尊重すると言っています。しかも、その結果を通して神が最善の導きをしてくれると言っています。さて、シャロームは、悔い改めない罪と偽善に塗れていますが、その偽善が神の祝福の”通り管”だとでも言いたいのでしょうか。



12. st5402jp2019年01月30日 14:10
シャロームの罪と偽善は、苦い結果によって、シャロームを、神のもとに引き寄せたでしょうか。神に引き寄せられたのなら、今までの罪と偽善を悔い改める発言があるはずですが、シャロームは、相変わらず、悔い改めた発言も様子も示さないまま、ここに、まともなつもりで、説教を書き続けていることが、そのことを明確に否定しているのです。



13. st5402jp2019年01月30日 14:10
シャロームが上で神が尊重すると言ったシャロームという人間の主体性と自由において、神はすべてのことを相働かせて益としてくださっているでしょうか。道は真っ直ぐになったでしょうか。何も益とはならず、真っ直ぐにもならず、シャロームは、何事も無かったかのように、自説を説教し続けています。シャロームの言行も因果も矛盾しています。

弱さも失敗も、正直に告白して赦しを祈る精いっぱい誠実な信仰者にとってだけ、神の恵みは顕れ、祝福となるのです。つまり弱さや失敗が、成長の糧になってゆくのです。

シャロームは、罪と偽善を悔い改めず、罪悪感も抱かず、まるで気にせずに、白々しい説教言葉と聖書語を言い続けているあいだ、悔い改めない者として、偽善者のままであり、ますます、ペテン師らしく、平気で嘘を吐いて回るようになってゆくのでしょう。



14. st5402jp2019年01月30日 14:12
shalomの書いた分だけ、記事を書いて、順次、アップしてゆきます。









*もう一つ
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自由さん おはようございます

「自分がカルトにハマってしまったのは、神秘・超常現象などに興味を持ち過ぎていたことが一因になっていたのは確かではある。」

旧約・伝道の書
3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

私たちの心には確かに永遠を思う思いがあります。しかし、永遠なる神のその時にかなってなされる業を見極めることが出来ないのですが、やはり知りたいと思う心の願いが「神秘・超常現象などに興味を持ち過ぎていたことが一因になっていたのは確か」ではないでしょうか。それも人が神によって神のかたちにかたどって造られた存在であることを示していないでしょうか。
2019/1/28(月) 午後 0:42[ shalom ]



遊園地や雑踏で親を見失った子どもがおろおろし泣き叫ぶ姿に出会ったことがあります。その時私が声をかけても、目はうつろであちこちさまよっていて、私の声があまり聞こえない様子が目に浮かびます。そんな子が親に出会うときの安堵した姿はやはり親でなければ与えることのできない安心、喜びでしょう。
私も50才の時、生まれ故郷である水俣病の発祥の地水俣の有機水銀を垂れ流した会社の社宅を訪ねました。もう社宅はありませんでしたが、もし、私が生後10カ月ほどで水俣を離れていなければ、きっと水俣病にかかっていたかもと思われます。水俣の海で捕れた魚をトロ箱で買って食べ、生活していたと母親に聞いたことがあります。また、母親は時々、私はコモに包まれて水俣の海岸に流されてきたのだと言っていました。冗談で言ったのでしょうが、繰り返して聞くうちに何となく、本当に自分は両親の子どもだろうかという不安を抱いていたのではないかと思います。
戦後の生活難の時代生活力は旺盛でしたが、物凄くきびしい母親でしたから。
2019/1/28(月) 午後 0:44[ shalom ]



ですからわざわざ市役所の市民課に行って親が出した出生届けを見せてもらったのかなと思い返されます。確かに見覚えのある父親の筆跡で書かれた出生届けを見て、ほっとしたことを今も覚えています。市役所の人が怪訝な顔をしながらも、私が生後はじめて水俣を訪ねたことを話すと、古い出生届けの束を探し出してくれたことがうれしかったですね。
自由さんが長年大川さんの本を読み、霊的人生観に惹かれたことも自由さんの心の深い思いからなされたことだと思いますが、私は人間らしい思いであり、願いであったと思います。20年余りの歳月をむなしく過ごしてしまったという思いもあればこそ、○○は××のためだったと合理化したい気持ちも当然だと思います。すべてそういうことも含めて、そのようなプロセスも初めから終わりまで見極めることのできない神の御手のなかで導かれたのではないかと、私は私の体験からそう思うのですね。
そして私はそのよう自由さんとこうして出会い、良い交わりへと導かれ、今日があることを本当に喜び、感謝しています。
ありがとうございます!
2019/1/28(月) 午後 0:44[ shalom ]



うーん、そこは少し違うかな。
霊的人生観、霊性進化論をはじめて知ったのは高橋信次で、つぎに大川本を知って、幸福の科学に入会して活動するものの、じきに疑問をもち距離を取って休眠し…という流れですね。
2019/1/28(月) 午後 8:43[ 楽山 (自由) ]



人の本質は霊であって、輪廻転生をしつつ、霊性の向上を目指しているというのは、20年くらいは当然のこととして信じていたし、今でも完全に脱したわけではなくて、ちょっと引きずってはいるけれども、さすがに大川隆法を20年も信じ続けてはいないですね。
2019/1/28(月) 午後 8:44[ 楽山 (自由) ]



今にして思い返せば、自分は、「あなたの知らない世界」とか、心霊番組などがすきで、なおかつ人生哲学みたいなうんちくもすきだった。

だから、霊的なこととともに、人はかく生きるべしと説く霊性進化論にハマったのかもね。

でも最近は、霊的なことへの関心も、人はかく生きねばならぬという意識も薄れてきてるから、霊性進化論も前ほど興味がなくなってきたという…。

霊性進化論を信じなくなったというより、興味関心がなくなってきたという感じ。
2019/1/28(月) 午後 8:57[ 楽山 (自由) ]



>人はかく生きねばならぬという意識も薄れてきてる

これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ。
2019/1/28(月) 午後 9:21[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん 今日の最後のコメントです。

「これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ」

私の信仰の体質は無教会といえると思います。
無教会という教会ということでしょうか。
内村鑑三の本を好んでよく読んでいました。

また私は福音は人による宗教ではないという思いをもっています。宗教嫌いだということもできるかもです。イエスさまも教会主義者ではなかったと思っています。
ユダヤ教指導者の怒り、不信を招いた原因でもあります。
イエスは荒野や丘の上、湖の畔が教会でした。
私も教会にいた時よりも今が自由で好きですが、教会がキリストの生ける身体であることはむしろ今の方が実感しています。
「万人が従わなければならない生き方、価値」ではなく、あくまでもイエスによって導かれた生ける神との関係において私がいかに生きるべきかということが切実な課題です。
2019/1/28(月) 午後 10:25[ shalom ]



誰かさんの弱みにつけ込んで、シャロームの偽善者としての強心臓が、ずっと表れて続けています。どんなに不都合なことが起こっても、起こった出来事の事実そのものを記憶から排除できるのでしょうか。そのような無視の能力を、いったい、どこから吹き込まれて、また、できるんだという確信のもとに、記事を書き続け、コメントを書き続け、偽善の罪状を、天にも地にも積み重ねてゆくのでしょうか。
2019/1/30(水) 午後 1:43st5402jp



聖書に聖霊や霊感のことが書いてあれば整合性があるからいい、というものではないのです。聖なる存在には、常に、恐れをいだいていなければいけません。聖書に書いてあるからと、聖霊の名をみだりに使ってはいけません。
2019/1/30(水) 午後 1:43st5402jp



「とどまっていなさい」とは、シャロームのように固定して訂正不能でよいということでは決してありません。「だれから学んだか知っており」「あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて」とあるように、学んで準備をする務めがあるのは言うまでもないことです。不完全な罪びととしては、学習可能、修正可能であることが必須なのです。

聖書は救いで、整えられたものになる、と聖句は言っています。ここは、聖書に書いてある、聖書の言葉と整合している、と言って悪用する者が出てきそうです。シャロームが載せていない直前の聖句を見てみると、

(テモテへの手紙、口語訳)
3:12
いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
3:13
悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
(テモテ3:12-13、新約聖書)
2019/1/30(水) 午後 1:44st5402jp



超常神秘への興味が神に造られた存在を示すと言っていますが、興味から信仰は生まれません。信仰も信仰の必要性も知らない者の発言でしょう。

人の親と子、という関係で、神と人の関係を語れるでしょうか。人の親と子は、元々親と子として馴染んできた経緯があるから、安心するのです。神と人の間に、信仰以前にそういう関係は自覚されていないはずです。親子に譬えれば、説明になるだろうというシャロームの安易さが表れています。元々の自覚が人の親子とは違うから、自由意志による信仰告白が必要なのです。
2019/1/30(水) 午後 1:48st5402jp



信仰と何の関係があるのでしょう。親子と、公害と、お飛び話と、昔語りの身の上話なら、好印象で、受け取られると思うのでしょうか。シャロームは、信仰をそういうものと同等に考えているのでしょうか。カルトと真実の信仰という対比が必要な重要なテーマなのですが、もう一度言いますが、いったい何の関係があるのでしょう。
2019/1/30(水) 午後 1:49st5402jp



カルトの説教が人間らしいと言っています。カルトの説教の人間離れに気づくことこそ、カルトに陥らないために大事なことなのです。自分がカルト思想を持っているからでしょうか、シャロームは、人間らしさも、人間に可能な宗教も、が分かっていないようです。いつも、的の外し方が驚き呆れるシャロームの見解なのです。まるでカルトに誘っているような発言。
2019/1/30(水) 午後 1:49st5402jp



シャロームは、神の御手の中で導かれたと言っていますが、その結果が、平気で嘘を吐き、悔い改めず、罪を認めず、深く感じることも考えることも出来なくなった今のシャロームなのです。
2019/1/30(水) 午後 1:50st5402jp



「これは個人的に自分はこう生きたい、ああはなりたくないというのはあるけれども、万人が従わなければならない生き方、価値観とかはあまり求めなくなってきたということ」

生き方や価値観を求めなくなったというのも、騙され過ぎて、めんどくさくなっているのか、自由を求めているなら、小さくない問題だとは思いますが、キリスト信仰は生き方や価値観という単純なものではありません。

キリスト信仰は、こう生きよ、とか、価値のあるものは?、とかいう問題ではなく、交わり、関わり、絆、縁、というような、言葉では表せない人間的で情緒的な本質を持つものです。
2019/1/30(水) 午後 1:55st5402jp



そして私はそのよう自由さんとこうして出会い、良い交わりへと導かれ、今日があることを本当に喜び、感謝しています。
ありがとうございます!

ここまでの文章を読んだ後では、ますます、背筋が寒くなるほど、浅ましく白々しく、わざとらしく、芝居がかったシャロームの社交の世辞です。
2019/1/30(水) 午後 1:55st5402jp



シャロームの今までの言動で明らかになっていることとして、殆ど読解力もないことから、内村鑑三を読んだというのも疑わしく、シャロームは、無教会派でも別の教派でもなく、低劣で幼稚な妄想を、辛口でなく騙されやすい人を相手に、キリストと神の名をみだりに使って広めようとする偽善者です。
2019/1/30(水) 午後 1:56st5402jp



また私は福音は人による宗教ではないという思いをもっています。宗教嫌いだということもできるかもです。

シャロームは、宗教嫌いではなく、宗教も信仰も、まるで分っていない人です。知らないから、何でもありで世辞を言いますが、人を救えるような何事も受け取ってはいません。
2019/1/30(水) 午後 1:56st5402jp



イエスさまも教会主義者ではなかったと思っています。
ユダヤ教指導者の怒り、不信を招いた原因でもあります。
イエスは荒野や丘の上、湖の畔が教会でした。

イエスが教会主義ではなかったと言ったあとで、丘の上、湖の畔が教会と言っています。シャロームの言う教会は、建物として捉えているだけのようです。キリストの名によって人が集まれば、そこが教会なのです。

(マタイによる福音書、口語訳)18:20
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである
2019/1/30(水) 午後 1:57st5402jp



教会を行けるキリストの体という分かりにくい言葉を、聞いたことがあるから、言っているシャロームですが、いかに生きるべきかということが切実な課題であるなら、神の前に、正直に罪と偽善を認めて、正直に悔い改めているはずです。

シャロームは、インチキです。

それを表すのに、これ以上の証拠がいるでしょうか。騙されないようにしてください。
2019/1/30(水) 午後 1:57st5402jp



※ TVドラマ「クリミナルマインド」での格言
https://twilog.org/cminds_bot

人はみな仮面をかぶるが、長くかぶり続けると皮ごとはがさないと外れなくなってしまう。
アンドレ・ベルティオーム(S6#4)

あなたの右の眼が罪を犯させるなら、抜き出して捨てなさい。 マタイによる福音書第5章20節(S5#6)
2019/1/30(水) 午後 1:57st5402jp