*後期
「信仰の中身? (遠藤周作『私にとって神とは』)」のコメントコピペです。
ここでは、ほとんど楽山のひとり語りになってしまっています。話の内容は、幸福の科学の信仰についてです。 これに興味ない人は読む必要なしかと…。
ここでは、ほとんど楽山のひとり語りになってしまっています。話の内容は、幸福の科学の信仰についてです。 これに興味ない人は読む必要なしかと…。
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1. shalom2019年02月10日 09:38
楽山さん
人は信と不信の狭間で生きているようです。
神は天にあり。人は地にありです。
だから信仰!
2. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:07
これについてはいろいろ議論はあるだろうけれども、
神様は人に無理なことを求めないだろうと思えば、
その人が心を尽くして神を信じようとしているのであれば十分であって、
「信仰は百パーセントでなければならぬ」と完全な信仰を求めることはしなさそうではありますね。
3. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:10
ちなみに、この問題については、、、大川隆法の本ではこうなってます。
>信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
それは、神はすべてであるからだ。
神はすべてであるからこそ、百パーセントを信じなければ、
すべてを得ることはできない。
たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、
最後の一年において、間違いたる唯物論者となって生きたならば、
その者必ずや、また地獄に堕ちん。
かくのごとき厳しいものがあるということを、知らなければならない。
(『仏陀再誕』大川隆法著、幸福の科学出版、平成元年、pp.248-249)
4. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:17
この教え(100パーセントの信仰)については、最近の自分の感想は、次の記事に書いてます。記事中の二つ目の項目ですね。
最近といっても、記事をまとめてから随分と時間は経ってるけど、自分の感想はそう変わってないですね。
「教えが完全なら、100パーセント信仰せよというのも有かもしれないが、ちょいちょい教えを修正、改訂しておきながら、それをいうのはおかしい」「教えの根本を信じろというなら、『根本を信じよ』というべきで、『100パーセント全て信じよ』というのはおかしい」という感じ。
・幸福の科学の教義について思うこと(1)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40865464.html
5. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:36
書き忘れたけど、上記の本では、100パーセントの信仰の対象は、天上の神ではなく、地上の仏陀であり、覚者である大川隆法ということになってる。
↓
6. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:37
>地上に覚者あるときに、その覚者に対する信仰を忘れてはならない。
地上に覚者あるときに、その時代に生まれ合わせた喜びを忘れてはならない。
その権威を畏れなければならない。
その権威を信じなければならない。
その権威に従わねばならない。
この権威を否定し、忌み嫌い、
この権威を自分の理解の範囲内で解釈しようとする者は、
ことごとく間違いの淵のなかに投げ入れられる。
(同上、p.244)
7. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:37
>もし、地上にある仏陀の教えをそしり、これにそむく者あらば、
それは神の意に反していると言ってよい。
なぜならば、
神はその時代のすべての責任を仏陀に命じているからである。
仏陀はすべての権限を持って、地上に降りているからである。
その時代の価値観を決め、
その時代の正しさを決め、
その時代の善とは何かを決め、
その時代の神理とは何かを決める者、
それが仏陀である。
したがって、たとえ心のなかで過去の人をいかに尊敬しようとも、
たとえ心のなかで、宇宙の彼方に住むかもしれぬという神仏をいかに尊敬しても、
地に降りたる仏陀を尊敬する気持ちがないならば、
もはや信仰ある者とは言えない。
(同上、pp.242-243)
8. 楽山 (自由)2019年02月10日 11:55
いやはや、ひさしぶりに読んだけど…これはもう何も言えないなあ。
今となっては、熱心な信者さんでも、これをそのまま信じられる人はなかなかいないんじゃないかとも思える。
ちなみに、先の選挙にて、幸福実現党の候補者のみならず、大川隆法までも落選となって以降では、信者さんのなかには、法身信仰論(ソフィアさん命名)なるものを主張する人が出てきてた。
9. 楽山 (自由)2019年02月10日 12:00
法身信仰論の内容は、大体次のようなものだ。
「大川隆法総裁先生は、地上に降りて肉体があるゆえに、三次元的な制約を受けている。だから全能、完全ではない。でも天上のエルカンターレは全能であり、完全である。
エルカンターレ信仰とは、地上のエルカンターレ(大川隆法)ではなく、天上のエルカンターレを信じることだ」
10. 楽山 (自由)2019年02月10日 12:03
ただこれには、およそ二つの無理がある。
まず一つは、上記の『仏陀再誕』には、天上の神でなく、地上の仏陀(大川隆法)を信じよとしてること。
もう一つは、エルカンターレは天上では完全でも、地上では肉体の制約があるというなら、そもそもはじめから完全じゃないだろうということ。
ゆえに法身信仰論は無理がある。
11. 楽山 (自由)2019年02月10日 12:48
つくづく、
こういう無茶な理屈で信仰を正当化する信者さんを見るたびに、
もっと自分の心に素直に、正直になったらいいのにと思う。
12. 楽山 (自由)2019年02月10日 18:49
ちと批判的なことを書きすぎたかな、やっぱり批判した後は気分がよくないな、自分にはそういうのは向いてないなと思いつつ、ツイッターを見たら、いつもの信者さんが、いつものごとくアンチ相手に暴れてた。
>愛夢希望未来 (●‘∀‘●)ノ"
>悪魔には何をしてもいい。どの面さげて言ってんの?
>オマエは退転者なんだぞ。信仰の試しを乗り越えたオレに嫉妬して怒りがこみあげてるのかな?
https://twitter.com/Iyumekiboumirai/status/1094488875538382848
13. 楽山 (自由)2019年02月10日 18:50
アンチ側の反応はこんな感じ。↓
>エル・バカターレ(邪悪なぐんじょう色の使者)
>「悪魔には何をしてもいい」ゆう教義は幸福の科学にはおまへん。「地上の悪魔は撃退せん。地下の悪魔は粉砕せん」ゆう教義があるだけだす。
>こないな解釈では、悪魔の影響を受けておるヒト(地上の悪魔)なら拷問して惨殺して臓器を転売して財産をすべて奪って家に火をつけてもええコトになりまっせ。
https://twitter.com/new_sanpole/status/1094514527368994816
>水木しげるZ (邪悪なピンクの使者)
>ほんとそれです。私の知る幸福の科学信者は、自分が気に入らなかったり正当な議論で勝てない相手を一方的に悪魔認定して「とにかくオレが正しいったら正しい」「相手は悪魔なのだから何をしてもいい」といって自分の間違いを認めようとせず、自らの卑怯な行動を正当化しているだけのように見えます。
https://twitter.com/shigerumizuki1/status/1094523851554332674
14. 楽山 (自由)2019年02月10日 18:54
HS信者さんにはいろいろな人がいて、純真な信仰を持ちつつ、真面目に生活してる人もいるだろうことを思えば、HS批判するのは申し訳ない気にもなってくるが、愛夢希望未来さんみたいな信者さんをみると、もっと厳しく批判すべきのような気もしてくるなあ…。
個々の信者をみて、その教団全体に対する印象、対応が変わるというのは、ちょっと軽々に過ぎるようでもあるが、でも実際、心の方はそんな風に動いてしまうのだから仕方ない。
15. 楽山 (自由)2019年02月10日 19:15
とりあえず突撃してきた。のれんに腕押し、糠に釘、馬耳東風…これはちょっと違うか…まあそんなもんだろうけど、前やりとりしたことある人だし、気付いたことは一応言っておく(笑)。
>楽山日記2
>横からですけど、Sさんは気楽に書いてるかもしれんけど、これじゃあ、HSはますますカルト視されてしまいますよ。真面目な会員さんが気の毒だし、気を付けた方がいいです。
一応、他所にも感想を書いときました。
https://twitter.com/jiyuu2018/status/1094537640290836480
16. 楽山 (自由)2019年02月10日 19:16
ああそうだ。この手のことは、「ハサミで水を切る」とも言えそうだ。
>楽山日記2
>「ハサミで水を切る」とは、うまいこと言うなあ。この言葉を聞いただけでも、徒労感がハンパない。
#さくら学院
https://twitter.com/jiyuu2018/status/1088189350255325184
17. st5402jp2019年02月10日 23:37
> shalomさん
>
人は信と不信の狭間で生きているようです。
神は天にあり。人は地にありです。
だから信仰!
2019/2/10(日) 午前 9:38 [ shalom ] 返信する
<
シャロームに、信はないと思います。それと、神は天にだけいるわけではないはずです。キリストも聖霊も同じであるのに、シャロームは、また、誇大的に、滑っているのです。
18. st5402jp2019年02月10日 23:40
シャロームの言っていた、どんでん返し、というのは、シャロームは救いの奇跡の意味だったようですが、実際は、シャロームの滑り方を表すのと、もはやシャロームがしそうにないけれど、シャロームはどんでん返しの悔い改めでもしない限り、どうしようもない、ということなのでしょう。