*つづき
前記事のつづきです。
ここでは、st氏は、自らのあやまち…荒らし行為、歪曲捏造、誤読などに無自覚であることが明らかになっています。
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ただいま戻りました。
「不自由さん」とか、「安楽山」とかいって、あからさまに見下し、バカにしてたのが、
今回は、「楽山 (自由)さん」と普通になってたので、対話できるかなと思ったのだけど、こんな流れになってるとは思いませんでした。やっぱ対話は難しいかな。
2019/2/16(土) 午後 2:28[ 楽山 (自由) ]
>shalomさん
>2019/2/16(土) 午前 11:09
ノーベル平和賞の話を聞いたときは、大久保利通が島津久光のご機嫌取りをしてたとかいう話を思い出しましたよ。
2019/2/16(土) 午後 2:46[ 楽山 (自由) ]
> 楽山 (自由)さん
>
「不自由さん」とか、「安楽山」とかいって、あからさまに見下し、バカにしてたのが、
今回は、「楽山 (自由)さん」と普通になってたので
<
それは、レスの自動で付いてくる呼び名か、シャロームのコメントではないですが。私ではないでしょう。
それに、シャロームと緩く歓談しながら、あからさまに無視されれば、シャロームの味方ですから、呼び名だけ、まともを期待するというのは、おかしいです。
2019/2/16(土) 午後 3:51st5402jp
それと、新しい私のコメントは、シャロームが、日本教など、ここの流れで記事を書いてきたので、私は、その批判記事を下書きしたものの一部を、ここにもコピペしたものです。
2019/2/16(土) 午後 3:55st5402jp
シャロームの記事に
>
日本人の皮袋は日本教という
非常に柔らかく柔軟性に富んではいるが、
古い皮袋であることには変わらない。
<
これがなければ、ここにはコピペしなかったでしょう。
2019/2/16(土) 午後 4:00st5402jp
彼は、実に、新しく覚えた言葉に執着して、引きずられ、安易に自説に結び付けます。聖書の古い皮袋は信仰の話、日本教は日本の宗教や社会の話、シャロームの革袋は、節操がないです。
2019/2/16(土) 午後 4:04st5402jp
>st5402jpさん
>2019/2/16(土) 午後 3:51
そこのところは、私とは考えが違うようですね。
私は、相手が敵か味方かは関係なく、まともな呼び方をするし、普通に話しかけてくる限りは、普通に対応しようと思ってるので。
2019/2/16(土) 午後 4:48[ 楽山 (自由) ]
それはそうと、呼び方についていえば、
この間の記事では、shalomさんのコメントが、改変コピペされてましたね。
shalomさんが、他人の名前を変にしてバカにする人にされてて驚きました。
shalomさんがが使ってる「自由さん」でも、「楽山(自由)さん」でもなく、「安楽山さん」と変えられてた。
2019/2/16(土) 午後 4:54[ 楽山 (自由) ]
>(シャローム)
> 超越者というより超自然である神という方がいいのでしょうか。私はよく言葉使いが粗雑になるようで、ある人に叱られました。
私は安楽山さんのようにいろんな本を読んでいませんから思考も言葉遣いも粗雑になりやすいようです。ある方のいい餌食にされるマスね。(苦笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20079255.html
>超越者というより超自然である神という方がいいのでしょうか。私はよく言葉使いが粗雑になるようで、ある人に叱られました。
私は自由さんのようにいろんな本を読んでいませんから思考も言葉遣いも粗雑になりやすいようです。ある方のいい餌食にされるマスね。(苦笑)
2019/1/20(日) 午前 11:37[ shalom ]
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41362713.html
2019/2/16(土) 午後 4:55[ 楽山 (自由) ]
〈注 改変箇所に下線をひき、色を変えておいた。楽山 2022.3.4〉
> 楽山 (自由)さん
どこですか。改変コピペというのは。
2019/2/16(土) 午後 6:26st5402jp
こういう細かいところを気にするのですか。あまり覚えがないのは、たぶん、私は、そのとき、自由さんと書くことに耐えられなかったのでしょう。
シャロームについては、長いこと、礼儀を守るべき人とは思っていません。シャロームに、うわべ丁寧で、中は真っ黒、というのを見せつけられましたから。
ですが、ここは、自由さんに変えておきます。失礼いたしました。
2019/2/16(土) 午後 6:40st5402jp
指摘は、早めにお願いいたします。そういう修正は可能です。
2019/2/16(土) 午後 6:43st5402jp
そうですか。ではこの辺りはどうでしょう。まず以下に、コピペします。
2019/2/16(土) 午後 6:49[ 楽山 (自由) ]
なお、謝罪は楽山さんに対するもので、シャロームに謝罪する気はありません。私がシャロームに謝罪するなら、シャロームは、私のコメント削除、侮辱、嘘、等々、私とキリスト者に、何千回か、それ以上の謝罪をすることになります。削除と侮辱は、修正も回復も出来ません。私は、シャロームに対しては、変わる気がないなら、書くな、ということです。
2019/2/16(土) 午後 6:50st5402jp
なぜ人は、宇宙、自然などから神を連想するのか
なぜ人は、道徳、良心をもっているのか
この辺りは、宗教的にはわりとすぐ回答できそうだけども、進化論的な切り口から論じた本を読むと、目からうろこが落ちた気分になれて面白いです。
2019/2/2(土) 午前 8:29 [ 楽山 (自由) ] 返信する
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41330456.html
それにしても、彼の今までのことも知らず、よく吟味もしないで、ヨシュア以上の洗脳のプロに、目からうろこが落ちた気分になれて面白いです、などと、よく言えます。
今夜、記事にします。
2019/2/2(土) 午後 7:41 st5402jp 返信する
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41330456.html
2019/2/16(土) 午後 6:56[ 楽山 (自由) ]
私は、shalomさんが創造論的な話に背を向けて
進化論の本に、目からウロコが落ちるとしたのですが、
stさんのコメントだと、
私がshalomさんの話に目からウロコが落ちたと感動したことになってませんか。
2019/2/16(土) 午後 6:57[ 楽山 (自由) ]
〈注:「shalomさんが創造論的な話に」は、「shalomさんの創造論的な話に」の打ち間違いと思われる。2022.2.21〉
私が、呼び名にとどまらず、普通では失礼になるようなことを書くのは、普通ではなく、怒っているからです。罵詈雑言で、シャロームが書かなくなるようなら、一途に罵りまくるという手もありますが、サーバーに削除されることもあるので、控えているわけです。
2019/2/16(土) 午後 6:59st5402jp
思い出したくもないので、シャロームの話に背を向けたことが分かりにくかった文脈ではないでしょうか。シャロームは、調子合わせの賛同をする人ですから。この件については、こまごまとしたところは、考えません。
礼儀を失したところは他にもあるでしょう。シャロームはもちろん、対立となった自由さんに対しても、その場合、礼儀を守って、などとは思わなくなってゆきます。
指摘は、テーマとなる本筋にしてください。
2019/2/16(土) 午後 7:10st5402jp
言葉だけ丁寧で、内実の伴わない人に対しては、うわべだけの人、という評価になってゆきますから、扱いは雑になります。シャロームは、ずっとそうですし、自由さんに対しても同様だと感じることが、無視など、多々あって、不感不応が伝染したと感じるようになったのでしょう。
2019/2/16(土) 午後 7:17st5402jp
一応参考として、shalomさんのコメントを貼ると、こんな感じです。
私が、目からウロコが落ちるとしたのは進化論だということは、shalomさんには伝わってたらしい。進化論にも有益なところあると話を寄せてくれてる。
>> 自由さん
>
>「なぜ人は、宇宙、自然などから神を連想するのか
なぜ人は、道徳、良心をもっているのか
この辺りは、宗教的にはわりとすぐ回答できそうだけども、進化論的な切り口から論じた本を読むと、目からうろこが落ちた気分になれて面白いです。」
>
>きっと宗教のもちやすい独善性、独断性を批判し、相対化するには面白いでしょうし、有益でしょうね。
2019/2/2(土) 午後 2:54 [ shalom ]
2019/2/16(土) 午後 7:21[ 楽山 (自由) ]
テーマ、本筋も大事とは思うけど、ものの見方をある程度、合わせておかないと議論はずっと噛み合わないままになりそうな気はします。
人それぞれにしても、私とshalomさんの会話にしても、stさんの解釈、受け止め方は、私にとって思いもよらないようなものになってます。この辺りをきちんとしないと、対話を成立させるのは難しいのではないかと。
でもその方面の話には、乗り気になれないのであればとりあえずここで中止することとします。あとは次の機会ということで。
2019/2/16(土) 午後 7:37[ 楽山 (自由) ]
>
>きっと宗教のもちやすい独善性、独断性を批判し、相対化するには面白いでしょうし、有益でしょうね。
2019/2/2(土) 午後 2:54 [ shalom ]
<
(私)
独善性、毒男性は、いつも、シャロームの絶対性の持ち物です。
ご機嫌取りはシャロームの技です。
心にもない嘘と偽善と、
「ね」付きの丁寧語と聖書語による擦りこみはシャロームの生業です。
と私は記事に書いていますが。
なお、シャロームに伝わっていると思わないほうがいいです。シャロームが書けば書くほどぼろは出てきますが、話も外れてゆきますから、分かりにくいのでしょう。とにかく、受け入れたふうに書いて、後、シャロームは、そこに引っ掛けて自説を語ります。そのお粗末さを自由さんが見抜かないのは、残念としか言えません。
2019/2/16(土) 午後 7:40st5402jp
自由さんについては、こちらは、ずっと前から、思いもよらないものになっていたということです。肯定文をそのまま肯定と受け取る前に、相手が心にもないことを世辞でまたは手管として言っている可能性を考えるのは、今までの付き合いの成り行きと、そのときの話の流れと、文脈から、そして、その比較的長い過去と現在の比較によって、筆致と体質を見てゆくことからです。
2019/2/16(土) 午後 7:49st5402jp
シャロームさんは、どんな話をしてても、聖書、キリスト教の話になることが多いようです。いつもそのことを考えているということなのかもしれません。
それに対して私の方は、人間機械論、進化論など、それとは反対の話を持ち出してる。また、いかに生きるべきかについての関心は残ってるけど、十字架の意味とか、教義的なことには踏み込むつもりはないことも書いてる。
この辺りは、私はある意味では、無作法、無遠慮です。
stさんからしたら、私はシャロームさんに取り込まれてるように見えてたかもしれませんが、実際のところは、そういうわけでもないです。
2019/2/16(土) 午後 8:34[ 楽山 (自由) ]
人それぞれについては、私とシャロームさんが意気投合しているというより、それは世間一般の考え方だということだと思います。
「よそはよそ、家は家」「人それぞれ」なんて、どこでも聞く言葉だろうし、常識みたいなものだし、その通りですねというのは普通のことかと。
この辺りの考えが重なったところで、さほどの意味もないかと。
2019/2/16(土) 午後 8:38[ 楽山 (自由) ]
それにこの議論は、アンチHS界隈では、前々からある議論ではあります。
カルトは、過干渉で、おかしなことをしつこく押し付けてきたりします。
だから私は、「自分らしさを失うな」とか、「おかしなことを押し付けてくる相手とは距離を取れ」とか書きます。信者はそれに反対する。
・『ねばならぬ』を排する? (志賀直哉の日記と、ジョニー・ロットンの言葉)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41435177.html
・「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
◇信仰無き退転者の特徴 ~「実践・悪魔の論理と戦い方」を読んで~
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/14533714.html
2019/2/16(土) 午後 8:40[ 楽山 (自由) ]
ちなみに、HS教義は、二重構造のようになってます。普通の部分と、教団特有の部分というように。
A.信仰は大切だ。神を信じよう。
B.信仰は大切だ。神である大川隆法を信じよう。大川隆法を信ぜず、悪口を言う輩が大勢なら、天変地異などの神罰が下りかねない。云々。
批判者は、Bに対して「これはおかしい。こんなことを押し付けてくる団体とは距離を取れ」といい、
信者は、まるで批判者がAに反対しているかのようにいい、批判者は、神を信じることに反対している、無神論者だ、と非難するという構図。
信者にとって、神=大川隆法だから、大川隆法を信じないことは、神を信じない無神論者になるらしい。
2019/2/16(土) 午後 8:44[ 楽山 (自由) ]
shalomさん関連のことでは、マリアさんの記事を思い出す。
これに有効な反論をするのは難しそう。
献金詐欺とか、霊感商法とか、そういうことがあったら話は違ってくるかもしれないが、信仰観が違うとか、そういうことで他者を巻き込んで誰かを排斥しようというのは無理と思います。
・思考の範囲の広さ - マグダラのマリアの部屋(Mary Magdalene)
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43221854.html
2019/2/16(土) 午後 9:14[ 楽山 (自由) ]
(楽山)
シャロームさんは、どんな話をしてても、聖書、キリスト教の話になることが多いようです。いつもそのことを考えているということなのかもしれません。
(私)
「そのこと」が何であるかが怪しいと私はずっと言っているのですがね・・。
(楽山)
それに対して私の方は、人間機械論、進化論など、それとは反対の話を持ち出してる。また、いかに生きるべきかについての関心は残ってるけど、十字架の意味とか、教義的なことには踏み込むつもりはないことも書いてる。
この辺りは、私はある意味では、無作法、無遠慮です。
(私)
シャロームは不当だと言っている私がいるのに、楽山さんが自分のせいにしても何も片付きません。あなたは、いろいろなことを語ってきたし、先ず、クリスチャンではない。そこに、シャロームは、あなたの言い分を分かったふうに受け入れて見せて、求められてもいない自説の教理めいたものを書きまくる。それこそ、無作法、無遠慮なのです。普通、クリスチャン以外のサイトには、信仰の書き込みは、遠慮があってしかるべきなのですから。
2019/2/16(土) 午後 11:30st5402jp
(楽山)
stさんからしたら、私はシャロームさんに取り込まれてるように見えてたかもしれませんが、実際のところは、そういうわけでもないです。
2019/2/16(土) 午後 8:34 [ 楽山 (自由) ] 返信する
(私)
月並みな言い方をします。そう思うところが怪しい。カルトに入る人は、強制はされていません。価値観と言葉の世界と受け取り方をすり込まれてゆくのです。
2019/2/16(土) 午後 11:32st5402jp
(私)
お付き合いレベルならそうでしょう、と言いたいが、そうでもありません。ネットのお付き合いは、しばしば正邪、善悪など、深刻な問題に及んでいるからです。人間と人間世界の命の問題についての議論を、井戸端会議にしてよいはずはありません。
(私)
シャロームは、井戸端の理路と知識しか持っていないから、それが普通なのです。仕入れた言葉を盛んに使ってごまかしています。つまり、シャロームの、緩やかな洗脳は、お付き合いレベルから始まって、何より怖いのは、先入観、固定観念になるのです。
2019/2/16(土) 午後 11:37st5402jp
(楽山)
それにこの議論は、アンチHS界隈では、前々からある議論ではあります。
カルトは、過干渉で、おかしなことをしつこく押し付けてきたりします。
(私)
掏り込みというのは、政治でも語られるくらいですから、おっしゃるHSのようにカルトが、いつも過干渉でおかしなことをしつこく押し付けてくるだけではありません。その例が、シャロームなのです。
(楽山)
だから私は、「自分らしさを失うな」とか、「おかしなことを押し付けてくる相手とは距離を取れ」とか書きます。信者はそれに反対する。
(私)
人間らしさを失わせて、おかしなことを、一見まともに見せかけて掏り込んでくるのがシャロームです。超常を誉め讃える話を、ことあるごとに書いてくるでしょう。そういう人には、分からないなら、分からないと言い、やめるように言うべきなのです。
2019/2/16(土) 午後 11:39st5402jp
(私)
ここでHSの話をされてもね・・。でも、ありそうな話です。しかし、シャロームは、そんなに気づきやすく分かりやすいカルトではなく、超常と神聖についてのカルト妄想を、それとなく、もっともらしく、吹き込んでゆくのです。その根っこにおいて、何を言われても訂正不能です。ですから、交際を続けること自体が危険なのです。
(楽山)
shalomさん関連のことでは、マリアさんの記事を思い出す。
これに有効な反論をするのは難しそう。
(私)
自称マグダラのマリアのことでしょうか。反論をするのが難しいのではなく、無効は、何か言うと、人格が変わったように、こちらを感情論と言いながら、感情的に攻撃してくるから、話にならないということです。
2019/2/16(土) 午後 11:39st5402jp
(楽山)
献金詐欺とか、霊感商法とか、そういうことがあったら話は違ってくるかもしれないが、
(私)
ネットの議論や遣り取りは、言論です。献金詐欺とか霊感商法とか、そういうことがあったら、もはや、強制力を含む刑事事件の問題ですね。まじめな議論を、事件が明らかになるまでせずに待つのですか。
2019/2/16(土) 午後 11:40st5402jp
(楽山)
信仰観が違うとか、そういうことで他者を巻き込んで誰かを排斥しようというのは無理と思います。
・思考の範囲の広さ - マグダラのマリアの部屋(Mary Magdalene)
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43221854.html
2019/2/16(土) 午後 9:14 [ 楽山 (自由) ] 返信する
(私)
信仰観が違うとかいう問題ではないですよ。カルトまたはカルト的妄想であるかどうかを判断するために考えておくべきことがあります。
(私)
信仰についての主張が、もし、すべての人か多くの人が言われるとおりに信じたら、人間と人間世界は破壊に向かう、ということならば、その主張は間違っているのです。
2019/2/16(土) 午後 11:40st5402jp
(私)
このことは、解釈の分からないところをこじつけて信じるという形で、キリスト教の中にも、多くの思い込みによる誤謬を生じていると思います。
(私)
超常を説いても、それが人間が生きるためにならないなら、受け取りようがない、すなわち、人間世界では否定するべきなのです。あなたのおっしゃった「自分らしい」私の言う「人間らしさ」が根拠になるのです。それで、ある程度、正邪の判断が人間にも出来るということであり、しなければいけないと思います。宗教も信仰も、人間が生きるためにあるからです。
2019/2/16(土) 午後 11:41st5402jp
(私)
信仰についての主張が、もし、すべての人か多くの人が言われるとおりに信じたら、人間と人間世界は破壊に向かう、ということならば、その主張は間違っているのです。
(私)
総ての人が、シャロームの主張通りに、罪を認めなくなったら、悔い改めることをしない、つまり、反省しなくなったら、と考えれば、明らかでしょう。放置したり、お付き合いくらいはして・・、ではいけないのです。
2019/2/16(土) 午後 11:58st5402jp
無効は(誤)→向こうは(正)
2019/2/17(日) 午前 1:05st5402jp