*つづき
前記事のつづきです。前記事の最後にあるように、こちらはゲストブックに移動してからのやりとりです。
st氏は楽山ブログには来なくなり、自分のブログで楽山の悪口を書くようになったので、それに対する反論が書いてあります。
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それにしても、stさんはまだ続けるつもりなんですね。
それじゃあ、こちらも一度くらいは、まとまったものを書いておこうかな。
2019/2/25(月) 午後 7:40 [ 楽山 (自由) ]
>「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
>https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
>
>「気に入らない意見は、無視しましょう。」
>
>偽キリスト教の偽善者が問題になっているのに、実に傍若無人な実践をするんですね。
>2019/2/16(土) 午前 8:08st5402jp
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40810997.html
これについては記事を読めば分かると思いますが、私の意見は、「おかしなことを押し付けてくる人に対しては、距離をおくとか、逃げた方がいいこともあるよ」ということです。
関連する箇所をコピペすればこうなる。上はアドラー心理学サロンのツイートで、下は私の感想です。↓
2019/2/26(火) 午前 5:48 [ 楽山 (自由) ]
>>気に入らない意見は、無視しましょう。
人の意見を変えさせようとするのは、無意味です。
他人の考えを変えられる人間は、この世に存在しません。
他人の意見がどうも納得いかないのなら、その人と距離を取るしかありません。
他人の課題に介入できないと割り切って、自分のことに集中しましょう。
https://twitter.com/adler_salon/status/1051230439216562177
>一応は、どんな意見も聞いておいた方がいいのではないかという気はするが、やたらと難癖をつけてきくるとか、的外れ、嫌味、嘲笑、中傷…というものは無視するのが正解だろうとは思う。
どうしてもウマが合わず、相性が悪い相手とは、距離を取るしかないというのもよく分かる。
間違っていることをしている人に対しては、きちんと意見してあげるのが親切だという考え方もあるけれども、その者が子供ならともかく、大人であれば、一、二度意見すれば十分だろう。その後どうするかは本人の課題。
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
2019/2/26(火) 午前 5:50 [ 楽山 (自由) ]
私の意見は要約すれば、「どんな意見にもきちんと耳を傾けるべきだろうけど、あんまりおかしい意見はスルーしてもいいだろう」ということ。
アドラー心理学サロンさんのツイートに関しては、この方はもともと激しい言葉を使うことが多いようだし、一行目なので意図的に極論を述べたのだろうと想像します。
こういうことは、記事を読めばすぐ分かることだけども、stさんはなぜか、私の主張は「気に入らない意見は、無視しましょう」というものだと吹聴している。
こういうのはやめてほしいです。
2019/2/26(火) 午前 5:52 [ 楽山 (自由) ]
あと、アドラー教の信者とか何とか書いてたりするけど、記事を読めばわかる通り、私の考えはある程度の距離を保つのがよいということです。信者にはなるなということ。
いつぞやは、私とshalomさんが軽い挨拶を交わしていたら、stさんが「二人は親友ですか」と聞いてきたことがあったと思う。随分と素っ頓狂なことを言う人だと思ったけど、どうも空気を読むとか、距離を測るとかは苦手な方のようだし、ここは気をつけてほしいです。
>以上、アドラー心理学サロンさんのツイートをみてると、あまりに直截的で、みもふたもないなあと感じることがないでもない。
でも一面の真理を語っているようだし、自分を大切にするのには有用な考え方であると思う。あまりどっぷりハマり込むのは問題だろうけれども、参考意見として読む分にはよさそうである。〈了〉
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
2019/2/26(火) 午前 5:53 [ 楽山 (自由) ]
>立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html
これは放蕩息子の話とのことですが、この部分を読むと、先にゆるしがあるのではないでしょうか。
2019/2/26(火) 午前 5:54 [ 楽山 (自由) ]
上の文章は、整理するとこうなるでしょう。
・子は父に謝ろうと決意する。
・父は子の姿を遠くに見た瞬間、走り寄り抱きしめる。
・子は父に悔い改めの言葉を述べる。(父は子から悔い改めの言葉を聞く)
こうしてみると、父は、子の悔い改めを聞くより先に、その姿が遠くに見えた時点で、すでにゆるしているようです。
父は、子の悔い改めを知るより先に、ゆるしてる。
子の視点からすれば、悔い改めのあとにゆるしを得たように思えるかもしれないけど、
父の視点からすれば、ゆるしが先だったということ。
ではいつゆるしたかと言えば、話の最後に「いなくなっていたのに見つかったのだ」と父が言って喜んでいることからすれば、子がいなくなったときにはすでに、ゆるし、その身を案じていたのかもしれません。
父が子をいつゆるしたかは明文ではないようだし、この辺りの議論はなかなか決着はつかなそうだけど、私はこのように想像します。
2019/2/26(火) 午前 5:58 [ 楽山 (自由) ]
>15:7よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
>15:10よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
この部分だけを読むと、天は、悔い改めをよろこぶようです。悔い改めによってゆるすではなく、よろこぶとしている。
これは、ゆるしは悔い改めより先行していたことを示しているのではないでしょうか。
「天は人をゆるし、その悔い改めを待つ→人が悔い改める→天はようやく気づいてくれたとよろこぶ」という流れ。
人は悔い改めによってゆるされるというよりは、悔い改めによってゆるしに気付けるという一面もあるかもしれません。
2019/2/26(火) 午前 6:00 [ 楽山 (自由) ]
>決して、何もわからないまま、赦しを先に与えて何でも好きにさせる、などということではありません。これらの人は、シャロームや楽山の自分勝手とは全然違うのです。
私の意見は、そうではなくて、こうです。
・『ゆるしが先で、改心があと』という考え方がある
・これはそれほど特異な考え方ではなく、これをもってカルトとはいえない
・『ゆるしが先で、改心があと』と信じなければならないとは思わないが、そういう考え方があることは認めるべきだし、それをもってカルトとはいえないだろうということ。
stさんは、人の心を悪く想像し、その意見を歪曲して非難するということを繰り返してます。気をつけてください。
2019/2/26(火) 午前 6:02 [ 楽山 (自由) ]
>神について、もし、赦しが先という表現が成り立つとすれば、それは、総てをご存知の神が、赦したのではなく、全知全能の神として、人が罪を犯すことを既にご存知であり、人の悔い改めよりも先に寛容な赦しの御心を持って、悔い改めを待っておられる、という意味でしか考えられません。決して、神が、前もって罪を許可して、好きなようにしてよい、ということはないのです。
ゆるしが先ということについては、私としては、これだけで了解してもらえれば十分です。
ゆるしが先という意見があり、それにも一理あることを了解してもらえれば、賛成、共感、支持までは求めてませんので。
2019/2/26(火) 午前 6:03 [ 楽山 (自由) ]
少し話は変わるけど、放蕩息子の話を解釈するには、仏教の長者窮子の知っておいて損はないと思います。
これを読めば、神仏の慈悲や、ゆるしが先という考え方をより理解できると思います。
・放蕩息子(新訳聖書)は長者窮子(法華経)のコピ-か?
https://blog.goo.ne.jp/niohin/e/295c57b11a7d9cfb69aced5fcc2706ee
・長者窮子の譬え
http://www8.plala.or.jp/kanjizai/M26.html
http://www8.plala.or.jp/kanjizai/M27.html
2019/2/26(火) 午前 6:04 [ 楽山 (自由) ]
>こうして自分のことを言って、柔和に対処しているつもりの保身です。
>答えられず、読まない、しない、流される、主張しない、我慢、と
自身が謙譲することによって、傷つけなかった、傷つかなかったと、
楽山は、アドラー教に照らして、気が済むのでしょう。
>権利主張したり、戻っちゃった、反省、などと書いて、
楽山は、手をデスクか何かについて、寄りかかり傾いて、
反省したのでしょうか。いつぞやのテレビの、猿のように。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html
また、stさんは他人の内面を悪く想像し、決めつけ、貶めてる。これは悪い癖です。
2019/2/26(火) 午前 6:04 [ 楽山 (自由) ]
>ゆるゆると、遠回しに、他者の言葉を借りて、人を侮辱してきた楽山です。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html
人を猿よばわりしつつ、こういうことを書くのはよくないです。
それに先日は、私の名前を、不自由さんとか、安楽山とか変な呼び方をしてバカにしてた。
こうしてみると、人を侮辱するというのは、自分の姿を他に見てるだけのような気がします。
ちなみに、ヨシュアさんはエグゼルさんの名前を変にしたり、猿よばわりしてた。この点、stさんとヨシュアさんは同じです。
2019/2/26(火) 午前 6:05 [ 楽山 (自由) ]
>シャロームは、相手が低く出てくれば、さらに、さらに、舞い上がります。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html
これも、shalomさんというより、stさんご本人のことと思います。
shalomさんはどこでも誰に対しても、大体同じ態度です。
でも、stさんは大分ちがう。
たとえば、stさんは、shalomさんがコメントすると、楽山ブログや、よなたんさんとこには突撃してた。でも論客の易坊さんとこには行かない。
楽山ブログのコメント欄では、私が黙ってると傍若無人に振る舞い、私が意見するとピタリと来なくなった。
あと、私の文章に、st批判と受け取れるものがあれば噛みついてくるけど、マリアさんがst批判らしい記事をいくつだしてもスルー。マリアさんは反論する人だし、その背後には天敵のヨシュアさんが控えてるからでしょうか。
こうしてみると、相手が下手に出ると増長するのは、stさんの方かと…。
2019/2/26(火) 午前 6:11 [ 楽山 (自由) ]
>楽山は、コメントでシャロームを援護したのち、直接、反論することをせず、ゆえに、黙っているかと思えば、ツイッターで、遠藤周作の文章から、善魔、という言葉を載せて当てつけ、さらに、他者の本から、赦しが先で改心があと、と書いてある文章を、よく吟味もせずに載せて当てつける、という卑怯な方法で対抗してきました。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html
ツイッターでは、趣味の他は、HS批判を呟いてます。善魔もその流れであり、HSを念頭においてリツイートしてたかと…。
また、自分の発言の根拠を示すために、その書籍の該当ページを貼るのは当然のことかと思います。それを当てつけと言われても困ります。
2019/2/26(火) 午前 6:12 [ 楽山 (自由) ]
言い難いことですが、HSとstさんには重なるところがあります。
だから、HS批判をすると、st批判に受け取られかねないこともある。
人それぞれの記事でいえばこうなるし、
「カルトや毒親の過干渉はスルーしてよい」
「stさんの過干渉はスルーしてよい」
善魔でいえばこうなる。
「HSは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
「stさんは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
この辺りについては、私の目的はあくまでHS批判にあることを理解してほしいと思います。とりあえずは、stさんを名指ししてない限りは、HSを念頭において書いてると思っていただければ幸いです。
2019/2/26(火) 午前 6:16 [ 楽山 (自由) ]
というか、私にとって、stさんはあんまり批判対象にはなりません。
数万、数十万の信者がいるとされるカルト教団ならともかく、信者も、取り巻きもいないstさんを、批判しても仕方ないです。
stさんはいろいろ書いてるけど、読者は賢明なので賢明な判断をするでしょう。
それに私にとって、stさんはもとから議論の対象から外れます。私はこの記事にある基準から外れる相手とは、議論する気にはなれないので。
・議論の作法 (なぜ議論は難しいのだろう?)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41325846.html
2019/2/26(火) 午前 6:17 [ 楽山 (自由) ]
ちなみに、上と同じことを、shalomさんで試すとこうなります。
「カルトや毒親の過干渉はスルーしてよい」
「shalomさんの過干渉はスルーしてよい」
「HSは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
「shalomさんは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
なんか、いまいち重ならないですね。
この点については、HSとshalomさんは別ものですね。
2019/2/26(火) 午前 6:19 [ 楽山 (自由) ]
>シャロームshalomと楽山を、上から命令を下す硬派カルトに対して、刷り込みや印象操作を手段とする軟派カルトと呼んだのは正解だったようです。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html
印象操作といえば、stさんがいつもやっていることかと思います。
相手の意見を、変に捻じ曲げて、さも変なことを言っているかのように吹聴するというやり方。
2019/2/26(火) 午前 6:20 [ 楽山 (自由) ]
>二人は、無視することによって邪魔なものを排して楽をしているために、洞察力や、文献の理路を検討する努力や、多面的に検討する思慮と、さらに、真実への深い共感性も欠けていることが、言説に表れています。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html
私としてはstさんとの対話は難しいと判断しています。誤読、曲解、思い込みが激しくて、事実に基づいた対話は無理と…。
口出しするな(黙れ)と言ったり、無視するな(しゃべろ)と言ったり、発言がコロコロ変わるところも、対話不可能と判断する理由でもあります。
さらには、こういうことは他の人も気づいていることだろうと想像してます。
なので、私からいちいちstさんを批判することもなかろうし、スルーするということになります。
思うに、stさんは自分から狭い方に進んでます。孤立する方に進んでます。ほぼ無抵抗のshalomさんの内面を悪く想像して、悪く言うのは止めて、仲直りした方がいいです。こういうことは恐らくは他の人も勧めてきたのだろうけど、私もお勧めします。
2019/2/26(火) 午前 6:40 [ 楽山 (自由) ]
ところで今、HS界隈は大騒ぎの最中です。私もHS批判する機会は増えるかと思いますが、stさんにはそれを自分に対する当てつけだと勘違いして怒らないでほしいと思います。再度お願いしておきます。
・大川隆法長男が語る「『幸福の科学』決別の理由は清水富美加との“結婚強制”」
http://bunshun.jp/articles/-/10791
・「神託結婚」― 異常性の発現
http://algorabarchives.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
・「清水富美加との結婚強制」はまったくの嘘 大川総裁が宏洋氏と週刊文春の間違いを指摘
https://the-liberty.com/article.php?item_id=15452
・「週刊文春」(2019年2月28日号)インタビュー記事 「大川宏洋氏の虚言・誹謗中傷」に反論する
https://happy-science.jp/news/public/6702/
2019/2/26(火) 午前 6:50 [ 楽山 (自由) ]
長いメールありがとうございました。
悔い改めの後先については書いておられることでいいと思います。最初にアダムとエバが罪を犯したとき、私たちが今もよくしているように、二人はすぐ枯れてしまう木の葉で身を隠しますが、神は毛皮の衣(罪のあがないと赦しのために流される血)によって覆ってくださり、さらにカインが荒野へ放浪の旅立ちをするとき、だれでも私を見つける者がわたしを殺すと恐れ、私の罰は重くて負いきれませんと呻き苦しんでいる時、神はカインの額にある印をつけてカインを守ることを約束しておられます。その印もまた毛皮と同じく、イエスさまの十字架を指示していますし、新約聖書においては神によって与えられた義の衣と記されています。
2019/2/26(火) 午前 10:09 [ shalom ]
古今東西すべての人が神の赦しと愛のなかに生かされているのです。しかし、そのことは信仰によって受け容れることによってはじめて、人の現実となるのです。受け容れないとしても神の赦しと愛のなかに生かされていることに変わりはありませんが。
「今、HS界隈は大騒ぎの最中です」
そうのようですね。
「・大川隆法長男が語る「『幸福の科学』決別の理由は清水富美加との“結婚強制”」」という記事が
私は読んでいませんが、有料記事が掲載されていましたね。
「私としてはstさんとの対話は難しいと判断しています。誤読、曲解、思い込みが激しくて、事実に基づいた対話は無理と…。
口出しするな(黙れ)と言ったり、無視するな(しゃべろ)と言ったり、発言がコロコロ変わるところも、対話不可能と判断する理由でもあります。
2019/2/26(火) 午前 10:09 [ shalom ]
さらには、こういうことは他の人も気づいていることだろうと想像してます。
なので、私からいちいちstさんを批判することもなかろうし、スルーするということになります。
思うに、stさんは自分から狭い方に進んでます。孤立する方に進んでます。ほぼ無抵抗のshalomさんの内面を悪く想像して、悪く言うのは止めて、仲直りした方がいいです。こういうことは恐らくは他の人も勧めてきたのだろうけど、私もお勧めします。」
きのうメールした後にstさんの記事を読み、stさんの私と自由さんに対する批判コメント読みました。
stさんとの対話が無理なように、きっと仲直りも難しいと思います。仲直りを望まれて断る理由はありませんが、stさんの病的体質が変わることは難しいでしょうから、関わることはないと思います。
shalom!
2019/2/26(火) 午前 10:10 [ shalom ]
関わることはないと…そうですか。それも仕方ないですね。余計なこと言ってしまったようで失礼しました。
2019/2/26(火) 午後 8:57 [ 楽山 (自由) ]
ゆるしについては、マリアさんが記事を書いてたので貼っといてみる。
・摂理では赦しが先に用意されているけど、
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43246392.html
・なんであれ、神様の言うとおり、。
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43246696.html
2019/2/26(火) 午後 9:00 [ 楽山 (自由) ]
ゆるしにもいろいろありそう。
・悔い改めによってゆるされる。
・神は全能であり、罪びとを消滅させることもできる。でも慈悲によって、その存在をゆるし、悔い改めを待っておられる。
2019/2/26(火) 午後 9:15 [ 楽山 (自由) ]