*末期
前記事のつづきです。
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聖書を悪用する楽山とシャロームは、人それぞれに加えて、解釈は一つではない、ということを、自己正当化のために持ち出しました。しかし、これは、同じことなのです。人間が聖書に対して施す解釈は、一通りではないのは当たり前ですが、そこには、対等の議論や話し合いがなくてはなりません。人の話を無視して、自分の解釈だけを一方的に言い続けるのは、言論において、反論できない自分は欠格だと自分で言っているようなものです。
まことに、話にならない無法者たちは、カルトを広める手段として、人の話を理解できませんし、理解しようともしません。そうして、出来上がった解釈が、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、などという、人を自己中心に導くものである限り、そのようなカルトの解釈と説教は、キリスト信仰とは、正反対になり、その解釈者を、反キリストと判断することにおいてのみ、十分なのです。
2019/7/22(月) 午前 0:14st5402jp
まことに、詭弁だけで、楽山とシャロームは、何も答えられないまま、似たような詭弁を繰り返して、自説を繰り返しています。何故、そうするのか、それは、何も正当な答えを言えず、それゆえに、作り事の詭弁で、駄々を捏ねるしかないからです。その結果、キリスト信仰など何も分かっていないしるしのように、幼稚さを表してゆく破目になっています。
2019/7/22(月) 午前 0:14st5402jp
(楽山)
>
解釈が一つであれば、自分は律法を守ったと誇る者が出るかもしれないが、
解釈がいろいろ成立しうるなら、そう単純には、自分は律法を守ったと誇れなくなると…。
<
(私)
解釈がいろいろ成立すると言っています。成立する解釈は、議論可能で、かつ、人を生かす要素を持っている解釈です。言葉だけで、こねくり回したような、誇大的な神がかりの妄想では、いつの時代にも成り立たないし、人間を、カルトの餌食にするだけです。
(私)
性懲りもなく、自分の解釈に凝り固まって、自己中心の陰謀を、丁寧語やボンヤリ限度で、押し出して、批判者がうんざりするのを待っているのが、楽山とシャロームなのです。
2019/7/22(月) 午前 0:15st5402jp
(私)
誇る者は神を誇れ、というのは、信仰を誇ることのないもの、即ち、説得力もなく、弁明も出来ないのに、成り立たない解釈を、一方的に押し出すような、神を恐れない所業を戒めています。
(私)
つまり、聖書は、元々、神のもとにある人間としての節操を守ることを教えており、誇るような性質のものではないということです。ですから、当然のこととして、相手に弁明も反論も出来ずに、あれやこれや、言葉を捻り回して繰り出してくる楽山とシャロームは、反キリストの背教者なのです。
2019/7/22(月) 午前 0:15st5402jp
(私)
「人の良し悪しの判断を越えた」「善をすることのできる方である統合者である方だという信仰を与えられる体験をしました」・・これこそ、神がかりの異常体験です。何故なら、その結果、おびただしい嘘と、詭弁と、侮辱をするシャロームが出来上がったからです。この二人を、決して、ひとかけらも許容してはなりません。
(私)
悪質です。真実に近づく姿勢を持たない者たちの言い分です。カルトの宣伝臭さが満載の詭弁です。諦めが悪いのは、訂正不能の欲望のためです。
(私)
上に書いてあることが嘘であることは、シャロームが、ここでは、コメントを取捨選択して、反対コメントを承認せず隠蔽または削除することに表れています。本当に恥を知らない。
2019/7/22(月) 午前 0:15st5402jp
(私)
そのような者が、罪を自覚しないで、嫌がらせだけをしてきます。そうして、シャロームは、私を、根拠をまるで示さないで、病者扱いし、カルト扱いし、人格依存者扱いして、おとしめてきたのです。
(私)
彼らこそ、あらゆる罪の根源として人間性を捨てた者たちであり、その、やさしげな言葉によって、人を誘導し、騙し、人間離れのお仲間を増やしたい、欲望だけの能力、つまり、本能を剥き出しにしてきています。手段を選ばない、人の言うことを理解しない、・・本能だけの動物だからでしょう。
2019/7/22(月) 午前 0:16st5402jp
(私)
シャロームは、善悪の子のみを食べないで生きているつもりなのでしょうか。善悪の判断を自分でしていないつもりなのでしょうか。それで、コメントを削除し、嘘を吐き、詭弁を弄し、侮辱をしてきたのでしょうか。・・シャロームは、気がくるっていると思います。誰も近づいてはいけません。特に、社交の心で、受け入れ姿勢の人にとっては、シャロームと楽山の精神は、悪性であり、伝染する性質を持っています。
(私)
私たちは、信仰者も、求道者も、善悪の判断を自分でしているのです。その自覚こそが、罪を認め、悔い改める、という、信仰が生まれるきっかけとなる者です。自分の善悪の判断が不完全であることから、罪が生まれることに気づくからです。
2019/7/22(月) 午前 0:16st5402jp
(私)
それに気づかないままの、楽山とシャロームが、善悪の判断をしなければよい、そうなっている、という恐ろしい狂気の反信仰をむき出しています。こうなってしまうと、訂正不能になり、人の意見には不感不応になり、信仰?が、繰り言になってしまいます。
(私)
その結果、ごまかしと詭弁のみで、言い得たという自己満悦に浸るようになってしまっています。楽山とシャロームは、非常に危険です。
(私)
はっきり申し上げます。あらゆる宗教と無宗教と、あらゆる良心と良識に対して、非常に危険です。楽山とシャロームのようになったら、人間は、おしまいなのです。
2019/7/22(月) 午前 0:16st5402jp
(私)正当なクリスチャンでありたい人へ。
どうか、欠点のゆえに悲しみ、不完全であるがゆえに罪を犯し、反省するがゆえに悔い改めることの出来る人間であってください。それが、救いの必要十分条件なのですから。
2019/7/22(月) 午前 0:17st5402jp
>shalomさん
>神は神の目でご覧になられ、すべてを良しとされた万物を創造された
この辺りは、どうも悪の発生についての絡みで議論があるようですね。
神は万物をよきものとして創造された、どこにも悪の種はなかった
でも今は悪がある、悪の元、悪の種がないのに、なぜ悪は生まれた?
という風に。
上のインターネット新教会さんのご意見と絡めて言うと、
悪のない、よきものとして創造された人が、
自由のはき違えという悪を犯す因はどこにあったんだろう? と。
この辺は、善因善果、悪因悪果で考えると、どうもうまく解決できないみたい。
2019/7/22(月) 午前 6:48[ 楽山 (自由) ]
> 楽山 (自由)さん
すべてよし、というのは、天と地と、人間以外の万象の創造について、言われたことではないか。
2019/7/22(月) 午前 8:09st5402jp
アダムとエバの話は、私たちのことを書いている話である。それを、大昔の創造話として片づけて、罪をアダムとエバのせいにするのは間違いである。
このように、罪を昔の人のせいにして、善悪の判断をしたからだ、というシャロームの言い分は、読み方が浅く拙劣であり、むしろ、そんな解釈で満足してしまうことのほうが、異常である。
2019/7/22(月) 午前 8:14st5402jp
インターネット新教会さんは、人間として考えたことを言っているのであって、むしろ、自由意志を正しく用いれば善を現すことも出来ると思います、というのは、希望である。
自由意志を、必ずしも、正しく用いられないのが人間であり、それを自覚し悔い改めるのが信仰である。自覚もせず悔い改めもしないのがシャロームである。
2019/7/22(月) 午前 8:24st5402jp
私は、信仰の節操について書いている。そこを外せば信仰ではないということであり、シャロームは、ことごとく外している。だから、広まると危険な悪のことを、いつも説いていることになる。
2019/7/22(月) 午前 8:42st5402jp
神が造ったものの中で、神に逆らるのは、人間だけである。その通りに、さらに、最悪の途上に、シャロームはいる。
2019/7/22(月) 午前 8:43st5402jp
> 楽山 (自由)さん
「悪のない、よきものとして創造された人が、
自由のはき違えという悪を犯す因はどこにあったんだろう? と。
この辺は、善因善果、悪因悪果で考えると、どうもうまく解決できないみたい。」
今始まったことではない、人として当然の疑問ですが、
人の手の内に納得できる答えはないでしょうね。
残念ながら、面倒でも聖書にしか答えはないのです。
と言いても、読む人によっていろんな読み方がありますし、エデンの園でへびの姿として描かれているサタンがアダムとエバをだます言葉のやりとりを注意深く読んでみてください。
見えないサタンになんて人間の想像、空想の存在だと思われますか。かみもみえません。わたしたちのいのちそのものもみえません。見えないけれど、なくてならないものはいっぱいあります。
むしろ見えないものほど大切なものですね。
2019/7/22(月) 午前 9:42[ shalom ]
自由さんは星の王子様よみましたか?
乗っていた飛行機が墜落したところから星の王子様の物語は始まっていましたね。まだ乗っている飛行機が墜落していない限り、星の王子様の世界はだれにも見えてこないのかもしれません。
とくに聖書について当てはまりますが、だれ一人として例外なく読書障害は他人ごとではありません。
2019/7/22(月) 午前 9:45[ shalom ]
(私)
人に納得できる答えはないと言いながら、聖書にしか答えはないと、シャロームは、聖書から答えを得たかのようなレスをしています。どういう答えかと言うと、見えないものほど大切と言っています。だから人が罪を犯すなんて理路が成り立つでしょうか。知ったかぶりで言って、どこかで聞いた違う話をしているだけでしょう。何も答えになっていないのです。
2019/7/22(月) 午後 0:25st5402jp
(私)
シャロームの話は、こういうものばかりです。何も分からっていないのに、聖書に答えがある、わかっている、という見栄を張って、どこかで聞いた見えないものは大切、などという話で、ごまかしているのです。知ったかぶりの見栄を処理できないものだから、悪魔も神も目に見えない・・だから、何?・・で終わっています。これを滅裂と言います。本人は答えたつもりなのです。
2019/7/22(月) 午後 0:28st5402jp
(私)
滅裂は、さらに、ひどくなって、唐突に、星の王子様が登場し、何故か、読書障害という言葉が出てきます。分からないと言えないシャロームの、見えないものからの、滅裂と理路の発散、・・誰か、他人事などと言ったのでしょうか。自分の話を整理できないのは、幻聴でしょうか、妄想でしょうか、・・病気が悪化したようです。自業自得の破綻で、目も当てられません。
2019/7/22(月) 午後 0:31st5402jp
(私)
もう何も言わないほうがよいと自重する心は働きかないのでしょうか。何か言ったことにしないと気が済まないシャロームの、見苦しい自壊の様子です。私は、前に何度も人間破壊を来すと言ったはずです。病理を感じるとも言ったはずです。人の言うことを聞かなくなって、万能感付きの訂正不能の教条で、自尊と自己中心が暴れ出すと、支離滅裂になるのは、当然のことなのです。もはや、哀れな病理を見るだけになるのでしょうか。
2019/7/22(月) 午後 0:35st5402jp
> st5402jpさん おはようございます
「人に納得できる答えはないと言いながら、聖書にしか答えはないと・・」
納得できるということと信仰とは
全く異質なことであるとの違いがわからないから、まるで的外れな批判しかできないのです。
どんな違いがあるのだと思うのでしょうが、
そのことについても聖書には書いてありますよ。
読書障害にももちろん関係ありますが、
それは程度の差はあってもすべての人に当てはまります。
また自分を除外していると書くのでしょうが、
もちろん私にもあてはまることですが、
読書障害とは異質の障碍だと聖書には書かれていますよ。
shalom!
2019/7/22(月) 午後 0:43[ shalom ]
(私)
何も分かっていないから処理しきれない、でも、何か言おうとする強迫観念、でも、信仰は嘘っぱちで、聖書について元々素材も蘊蓄もないから、オーバーロードして、退行、思い付きで言って、収拾がつかない、妄想と混乱と支離滅裂から途絶と亜昏迷、統合失調症のような精神状態、言葉は濁してきましたが、言わぬことではないのです。何も言わず休むか、病院に行ってください。
2019/7/22(月) 午後 0:51st5402jp
(私)
納得も理解もしないで、信仰が成立するなどと言うことこそ、あなたが、信仰を非現実のものとしてしか受け取っていない証拠です。だから、空疎なことしか言えなくなったし、有頂天の○○気取り、まとめれば、超能力者気取りにしかならないのです。今のあなたは、自らの醜さと悲惨さに気づかないだけです。
(私)
キリストは、人間に語りかけてきました。人間性に残る話だから二千年を経ても色あせることがありません。あなたの話は、出まかせの空想話です。エスパーの座談会ではないのです。キリスト信仰を、シャローム自身の枠で無理して、幼稚で気持ちの悪いほど低次元の神がかりに変えて、他者を的外れと言って、言い得たと思っている傲慢しか表れていない。信仰をなめてかかると、こうなります。身の程を弁えなさい。あなたは、キリスト者ではない。
2019/7/22(月) 午後 1:00st5402jp
(私)
あなたの話に対して、信仰者としては、解放につながる発想も見いだせません。人間と信仰者と、両方にとって、異質な妄想で、何を言っているのか分からない、理路のない支離滅裂です。ただ、病気臭さがプンプン臭います。独りでやってください。あなたが、それでも、言い張りを続けるのは、昔からですが、便尿失禁に近く、悪意と敵意と嘲りさえも、あなたの側で決壊しています。「が」「いますよ」口調が、見苦しいです。まともな人間、まして信仰者には、迷惑なだけです。
2019/7/22(月) 午後 1:09st5402jp
(私)
シャロームのような人が、宗教を勘違いすると、ただの誤謬にとどまらず、妄想的に展開・発症して、宣伝・伝染の対象となる被害者の人格破壊のみならず、このシャロームのように自身の人格破壊につながる、という例でしょう。収拾がつかなくなり、訂正不能の自己中カルトは、自他に対する狂気の凶器となります。
2019/7/22(月) 午後 1:17st5402jp
(私)
シャロームの言こそ的外れで、たとえるなら、私の庭の悪口を、隣の庭を指しながら言っているようなものです。そしてシャロームは、オレの庭を見よと言う、しかし、そこにシャロームの庭はなく、排泄物がまき散らしてある昔の肥溜めがあるようなものです。あなたの言説は、悪臭が鼻に突くだけで、誰の心にも響きません。
(私)
洞察の欠片もない言い張り、絆創膏をデタラメに這って修復できるものではありません。そして、実際、あなたの思考には、内因性か心因性か知らないが、思考途絶が起こっているのです。だから単純で理路にならない「が」「いますよ」口調になるのでしょう。何か言ったつもりでも、一歩も進んでいない。
2019/7/22(月) 午後 1:32st5402jp
>stさん
>すべてよし、というのは、天と地と、人間以外の万象の創造について、言われたことではないか。
創世記第一章では、27で人を創造し、そのあと31で、創造したものをすべて御覧になってよしとされたようです。
2019/7/22(月) 午後 7:43[ 楽山 (自由) ]
>shalomさん
>エデンの園でへびの姿として描かれているサタンがアダムとエバをだます言葉のやりとりを注意深く読んでみてください。
アダムとエバは善悪を知る前とすると、二人は善でも悪でもない状態だったんでしょうかね。
善でも悪でもない状態では、善因善果、悪因悪果ではかることはできないかも。
何か余計こんがらがってきました。時期がくれば、何らかのひらめきがあるだろうと期待して、とりあえずこの問題は保留しときます。
2019/7/22(月) 午後 7:49[ 楽山 (自由) ]
ちょっと思ったけど、善でも悪でもない状態は、これぞまさしく自由な状態かもしれないですね。
もしそうなら、インターネット新教会さんが7/21に書いておられたことと通ずるものがあるような気もします。
2019/7/22(月) 午後 7:56[ 楽山 (自由) ]
>shalomさん
>自由さんは星の王子様よみましたか?
乗っていた飛行機が墜落したところから星の王子様の物語は始まっていましたね。まだ乗っている飛行機が墜落していない限り、星の王子様の世界はだれにも見えてこないのかもしれません。
星の王子様は、読もう読もうと思いつつ、まだ読んでない本の中の一冊です。
極限状態、限界状況にならなければ見えてこないものはあるだろうけど、できればそれを経験せずに、見るべきものが見えてほしいものではあります。まあこれは虫が良すぎる考え方だろうけど。
2019/7/22(月) 午後 7:57[ 楽山 (自由) ]
>
創世記第一章では、27で人を創造し、そのあと31で、創造したものをすべて御覧になってよしとされたようです。
<
そことアダムとエバの話の原典が、1章のの創造の話の?文書とかいう原典と違うという話もあったような気がしますが、そこから、人間も良かった、という結論しか出てこないことを批判しているのです。ここは、何らかの疑問をいだくのが、正常な反応です。
2019/7/22(月) 午後 9:45st5402jp
創世記の中でも、あとの話と、文脈が前後していますし、あとの、アダムとエバの愛憎の豊かな生き生きとした人間物語とは、明らかに筆致が違います。
そして、人間だけが神に逆らうことに、いちばん逆らっているシャロームが、アダムとエバのせいにしてボロクソに言う資格はないし、解釈がおかしいと言っているわけです。言葉だけにこだわり、書いてある、書いてある、と言い張る教条主義というのは、その辺が、心のない判断しかできないことを表しているのです。
2019/7/22(月) 午後 9:46st5402jp
>
アダムとエバは善悪を知る前とすると、二人は善でも悪でもない状態だったんでしょうかね。
善でも悪でもない状態では、善因善果、悪因悪果ではかることはできないかも。
何か余計こんがらがってきました。時期がくれば、何らかのひらめきがあるだろうと期待して、とりあえずこの問題は保留しときます。
<
善と悪という言葉で分けて、単純な理屈で理解しようとするのが、教条主義です。それに、神と聖霊のお墨付きを勝手に付けてしまうのが、シャロームです。自分のの理屈で、神を分析しようとするのが、そもそも間違いであり、通念的な考え方を神聖に当てはめることは出来ません。言葉を受け取り、心を受け取らないから、言葉だけにこだわるのです。心のない人に言っても無駄でしょうけど。
2019/7/22(月) 午後 9:46st5402jp
>善でも悪でもない状態は、これぞまさしく自由な状態かもしれないですね<
どこがでしょう。その前に、人間という存在に、全でも悪でもない状態を当てはめて、理路に出来ると思っていることが、実に、人間離れなのです。人間が生きるということは、善悪の問題から離れることは出来ません。
だから、心がないと言っています。直感的に、直観的に、おかしいと判断できないのでしょう。直感的に見るだけで、シャロームの言うことは、もはや、人間の言葉ではないということが分からないのです。人間ならば・・がないと、そうなります。
2019/7/22(月) 午後 9:48st5402jp
あとのほうのアダムとエバの話には、原罪の話だから、すべてよし、は出てこないと思いますが、天地創造の話が2回出ていることになるわけです。前者がP文書(祭司だったか)、後者がJ文書だったかE文書だったか、はっきり覚えていませんが、つまり、よしとすることの意味付けも、異なっている可能性があります。それを前提に私は言っています。
アダムとエバの話を、シャロームは、あいつらのせいで、という書き方でボロクソに言って、自分は違うと言いたいようですが、この話は、人間の本質的原罪性と、神の愛が、それで終わらないことを伝えています。シャロームと楽山には、こういうのは分からないのでしょうか、勉強する気もなく決めつけているのは。
2019/7/22(月) 午後 10:07st5402jp
文書仮説について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9B%B8%E4%BB%AE%E8%AA%AC
決めつけるわけではなく、解釈があるのだから、それを学ぶべきであり、
創造の記事2つと言うのは、暫定的にも、何らかの解釈をしないと理解できないところです。
シャロームは、調べもせずに、アダムとエバを悪者にしています。
神は、アダムとエバを見捨てませんでした。
(私)
シャロームは、アダムよりもエバよりも罪は重いのです。
シャロームの最も罪の赦されざる点は、神を恐れないことです。
その表れが、罪を認めず、悔い改めないことです。
2019/7/22(月) 午後 11:12st5402jp
Mine というシャロームの仲間がいるようだが、楽山ではないのか。
2019/7/23(火) 午前 6:32st5402jp
〈注 そういえば、当時、st氏は、mine氏のブログに行き、「あなたは楽山ではないのか」と問い詰めていたのだった。全然無関係のmine氏はわけが分からず、途方に暮れたろうと想像する。楽山 2022.3.6〉