*末期
以下は、「気持ち」のコメント欄からのコピペです。
これについても、「資料集(14)」と同様に、ヤフーブログから当該ブログに移動させていなかったのですが、PCには保存してあったのでここで公開しておきます。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
自由さん おはようございます
「揺れを戻し、整えることも大事。」
そうですよね。
私はやじろうべぇが好きですが、ごぞんじですか。
どんなに揺れても、振り回されることがあっても、
たしかな支点に支えられていれば、相対化の揺れがあっても、
支点によって揺れを取り戻し、整えられる…あの人形ですが。
2019/7/24(水) 午前 9:03[ shalom ]
そちらは、削除するわけですから、こちらは、記事にするわけです。
2019/7/24(水) 午前 11:15st5402jp
> st5402jpさん
「そちらは、削除するわけですから、こちらは、記事にするわけです」
そうです。私も自由。あなたも自由ですよ。
あらら、いま気がついたのですか。
2019/7/24(水) 午前 11:54[ shalom ]
いよいよ、狡いケダモノの本性発揮ですね。あらら・・とは
2019/7/24(水) 午前 11:58st5402jp
社交の世辞で、宗教を語る無理が、シャローム経由で、あなたを凶暴さをあらわにする転換点でしょう。
2019/7/24(水) 午後 0:00st5402jp
>shalomさん、こんばんは。
やじろべえとか、天秤とか聞くと、
山本七平の日本教徒の話を思い出してしまいますよ(笑)。
ところで、shalomさんは、コメント削除あり派なんですね。
自分の方は、基本的には、コメント自由派ではあります。
どんなコメントであれ、本人はこれだけは言いたいという
切実な気持ちはあるのだろうし、
削除、承認せず、というのは可哀相な感じがするので。
でもさすがに、実名を挙げてのボロクソコメントは拒否したことはありますが。
2019/7/24(水) 午後 7:12[ 楽山 (自由) ]
コメントは他者の書いたものだから、コメント削除あり派などは正当には存在しません。答えられない者の卑怯な自己正当化です。都合のわることは、みな隠蔽するのです。その上で、美辞麗句を並べて、ちゃんとしているふうを装う、という、見苦しい限り。
2019/7/25(木) 午前 3:43st5402jp
> 楽山 (自由)さん
「やじろべえとか、天秤とか聞くと、
山本七平の日本教徒の話を思い出してしまいますよ」
そうですか。あの「日本教徒」は積読状態で、まだ読んでいないんです。
七平さんがやじろうべぇや天秤の話をどんな風に、どんな意味で書いていたのか気になりますね。
私はブログは自分の家だと考えていますが、いろんな人がいますので、出入りは承認制にしたり、人によっては出入り禁止にします。お断りしているのに、出入りしようとすれば締め出したり、送り付けられるものは送り返したり、時には処分しますね。
自分の家、部屋と他者の家、部屋の違い、区別がつかない人にはそうした方がいいのではないでしょうか。
自分の家や部屋に他の人がヅカヅカと入ってくることに平気な人はいないでしょう。
夏ですが、しっかり戸締りはしたいものですね。
2019/7/26(金) 午後 8:59[ shalom ]
たしか山本七平は、日本教徒の特徴を、天秤を比喩にして説明してました。
支点は人間で、天秤には空体語、実体語という錘をのせているが、空体語という錘が極限まで大きくなった時、天秤は回転してすべての重りを振り落とし、再び平衡となると…。
先の戦争を例にすると、本土決戦、一億玉砕などの出来もしない空体語が大きくなり、支点(人間)に近くなるほどに、本土決戦も一億玉砕も無理だという現実的な声は、支点(人間)から遠く、小さくなり、やがては天秤はバランスをくずし、すべての重りを落とし、何事も無かったように平衡に戻ると…。
自分の理解だと大体こんな感じの話だったと思います。
2019/7/27(土) 午前 7:23[ 楽山 (自由) ]
コメント欄については、当方も、いろいろと考えてはいました。
優柔不断なので対応は遅れてますけど、今よりは、shalomさんの考え方に寄っていくことになりそうです。
2019/7/27(土) 午前 7:29[ 楽山 (自由) ]
> 楽山 (自由)さん おはようございます
「支点は人間で、天秤には空体語、実体語という錘をのせているが、空体語という錘が極限まで大きくなった時、天秤は回転してすべての重りを振り落とし、再び平衡となると…。「」
ありがとうございました。よくわかりました。
日本教とは支点が人間であり、天秤には空体語、実体語という錘をのせ、ひっくり返れば、元の黙阿弥、元に戻る、まさにそうですね。日本は今戻っていますね。
ところで私のやじろうべぇの支点は人間ではなく、イエスさまなんです。十字架につけられたイエスさまの姿をよく見てください。まさにやじろうべぇの姿です。
で、十字架は日本人のみならず、世界中の男女にかかわらず、一番愛されるアクセサリーですね。
でもその十字架を見るとキリスト教がほとんど日本教化していること、アクセサリー化していることを表しているように私には思われます。
2019/7/27(土) 午前 10:06[ shalom ]
> 楽山(自由)さん
ところで楽山さん
あの厚くて、決して読みやすい本ではない山本七平さんの「日本教徒」の要点をズバリすぐに的確にコメントできるなんて素晴らしい理解力と文章表現力ですね。
メモ魔のようですが、メモしておられたのですか。
私は面倒くさがりですから、心に残っていても読みっぱなしですね。次第に忘れてしまいますし、もったいないなぁと思わされました。感謝!感謝!
2019/7/27(土) 午前 11:08[ shalom ]
多分、幸福の科学での経験があったので、記憶に残りやすかったんだと思います。
幸福の科学では、でっかい空体語で会員にはっぱをかけて動かし、現実的な判断は、マイナス思考とか何とか言って排除するということが繰り返されてたので。
でも先の説明は、あくまで私の大雑把な理解で、山本七平の著作だと、空体語とは何かとか、ややこしい説明があったし、自分の理解は必ずしも正確とは言えないかもしれません。そこ、ご勘弁願います。
2019/7/27(土) 午前 11:31[ 楽山 (自由) ]
ところで、shalomさんは、アクセサリーとしての十字架は容認なんでしょうか。
自分はかつて、十字架のペンダントは格好良いと思って買おうとしたら、当時、親しくしていた人から、そういうものは信じてない人が身に着けるべきでないと言われて、買うのは止めたのでした。
この人は、ノンクリだけど、キリスト教系の学校に通ってたので、そこら辺の線引きはビシッとしてたのかもしれません。
2019/7/27(土) 午前 11:45[ 楽山 (自由) ]
> 楽山 (自由)さん
本当に十字架には人の心をひきつける魅力がありますね。
イエスさまは負われた十字架は生ける神を見失った私たちすべて人が負っている罪とその重荷、呪い、裁きの象徴であるとともに、同時にすべての人の罪とその重荷を、神ご自身が負われ、私たちすべての人が背負っている罪の重荷と呪い、裁きをご自分で負ってくださり、救いを与えておられる象徴なのです。
それを福音、喜びの訪れというのです。
2019/7/27(土) 午後 4:55[ shalom ]
十字架のアクセサリー、イエスさまが十字架につけられている姿は、信じている人には神の愛と恵みによって与えられる救いの象徴ですから、その喜びをあらわし、多くの人に知ってもらいたいという信仰の証しといえると思います。
そのことを知らない人にとっても、神の愛と恵みによって与えられていることは同じなのですが、そのことをまだ知らないとしても、十字架をアクセサリーとして大事にされることは何の差支えもないと思います。
私も自身も長い間、全く分からい時があったのですから。
今はわからずにしていることでも、後になり、ああ、そういうことだったのかと知らされることって多いと思います。
子どもの時はわからなかった親の気持ちが、自分が親になって少しは分かるようになるということだってありますし、過去のつらい体験で、思い出すのも嫌だったこと、苦しかったことなのに、ある時、ふと、ああ、そういうことだったのかなと、ふと気づかされることもありますよね。
2019/7/27(土) 午後 4:56[ shalom ]
2000年以上の、遠いイスラエルで起こったイエスさまの十字架の死が、時間と空間を超えて、今生きている私たちの心に届いている神の福音、それが十字架というアクセサリーによって示されているのは本当に人知を超えた神の御業と愛ですね。
気にせずに十字架のアクセサリーを身につけてください。
shalom!
2019/7/27(土) 午後 4:56[ shalom ]
(私)
私は、前に行ったのに、シャロームは、また、同じことを返しています。
ブログは、管理を管理人がまかされただけで、管理人の所有物ではありません。
ブログは、公共のものなのです。公共に公開されています。
だから、そこに預けたものを勝手に削除するのは、マナー違反であり、
卑怯でしかありません。
そのブログを私物化して、自分の家だとシャロームは言っています。戸締りに喩えるほど、私物化に徹底している様子からは、シャロームは、公共の意識が皆無と思われます。
(私)
やじろべえは、倒れそうで倒れないが、天秤は平衡を計らないとどちらかに傾いてしまいます。シャロームは、倒れても、倒れていない風に、装って、蔓延ります。アンバランスの自覚と病識がないということです。倒れても亡霊のように、口だけ、とんがってくるシャロームですが、何事につけても、シャロームは、破壊の途上にあるのです。
2019/7/27(土) 午後 5:50st5402jp
(私)
不十分な比喩を聞いただけで、シャロームは、よくわかったそうです。シャロームについて言えば、わかるということは、ありえないように思っています。浅く薄く呑みこんで、盛んに無秩序に言いまくってきただけなのです。そして、自分が斬られていることに気づかないシャロームしか表れていません。シャロームの言が、空タイ語であることにすら気づかないのでしょう。
(私)
十字架は、世界で、一番愛されているアクセサリーでしょうか。シャロームは、また、誇大的になっています。そこで、すぐ、日本教化にアクセサリー化という言葉を造語して、悦に入るシャロームです。ベースにある思慮が、いかに、安易で、安っぽいかがうかがえます。アクセサリーのような気安いトークをして、都合よく忘れてゆくシャローム。
2019/7/27(土) 午後 5:52st5402jp
(私)
早速、同じ穴のムジナ同士の仲間ぼめです。前に、シャロームは、仲間ぼめを嘆く本を読んで記事にしていましたが、いかに、自分の都合だけで、本を利用し、かつ、忘れているかがわかります。本当に、シャロームにとって、本は、アクセサリーに過ぎないようです。熱しやすく冷めやすいのではなく、最初から、利用しているにすぎないシャロームの読書なのです。読んだと誇りたいだけなのでしょう。
(私)
シャロームが、読みっぱなしで忘れてゆくのは、自分に都合の良い処世と言っていいでしょう。本当に忘れてゆくのでしょう。今の様子なら、すべて忘れて、物を言うことも忘れてほしいものです。
2019/7/27(土) 午後 5:53st5402jp
(私)
キリストに罪を負わせて、シャロームは、罪を認めず、悔い改めず、信仰の何ものをも持っていません。そして、神が罪を背負って、自分を救うと言っています。そのようなキリスト教もキリスト信仰も、どこにも存在しません。どうかシャロームを真に受けないでください。シャロームは、恐ろしい背教の言を、今日も止めません。滅びつつあるものの宿命なのでしょう。
2019/7/27(土) 午後 6:28st5402jp
(私)
十字架のアクセサリーは、アクセサリーであって、信仰の証しにはなりません。滅びゆくシャロームは、前にも増して、暴言を吐くようになっています。
(私)
シャロームは、ああそうだったのか、ということを表したことは一度もありません。私が前から言っているように、訂正不能だからです。シャロームは、何も気づくことのない闇の洞窟を歩いています。
2019/7/27(土) 午後 6:28st5402jp
(私)
シャロームの偽善的代償的ベタ褒めの讃美?の便尿失禁です。垂れて流れるだけです。大嘘吐きです。十字架のアクセサリーは禁止ではありませんが、シャロームの言動は、ことごとく反信仰としてしか表れません。したがって、シャロームに十字架のアクセサリーを許可する権限はありません。シャロームは、キリスト者が負うべき十字架を負わなかったのです。神の救いの御業も愛も、シャロームが拒否しているのです。最近、シャロームの恐れを知らぬ暴言が増えているのは、人知を超えた神の裁きが進行中なのでしょう。
神は、いつまでも、黙って見ておられるわけではないのです。
2019/7/27(土) 午後 6:29st5402jp
> shalomさん
十字架のアクセサリーについてのお話、ありがとうございます。
shalomさんは、おおらかな考えをお持ちのようですね。
ちょっと思ったけど、
『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』にあっても不思議でない考え方かも。
2019/7/27(土) 午後 7:45[ 楽山 (自由) ]
> stさん
申し訳ないですけど、
今後は、もう少しだけでも連投は気をつけてもらえればと思います。
よろしくお願いします。
2019/7/27(土) 午後 7:46[ 楽山 (自由) ]
> 楽山 (自由)さん おはようございます
『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』
初めて知りました。
上馬と言えば東京、世田谷ですが、
高卒後、東京に出て、近くの池尻にほんの短い間住んでいました。そして大卒後は、また池尻に本社のある会社に入社し、大阪、京都で仕事しましたが、ちょっと懐かしいですね。
『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』
聖書通信講座でもしているのでしょうか。
検索してみましょう。
2019/7/28(日) 午前 8:44[ shalom ]
だれでもイエスさまについて、人ぞれぞれの立場や、心のフィルターをとおして自分のイエスさまについての考え方をもっているのです。エス様に選ばれ、イエス様と一緒に歩んだ弟子たちでさえそうでした。みんな自分の心のフィルターを通して見えるようにイエスさまに期待しているように信じましたが、イエスさまの死によって、みんな吹っ飛んでしまいました。それが悔い改めの意味のようです。
イエス様へのひとつの信仰の一致はそこから、イエスさまによって与えられたのですね。
ペテロが初めてイエスさまに対する信仰告白をした時、イエスさまが約束された「私は私の教会を私が建てる」と言われた
言葉が成就したのです。その時、イエスさまによって弟子たちの目と心が星の王子様の言葉の世界が啓かれたのですね。
shalom!
2019/7/28(日) 午前 8:47[ shalom ]
ツイーターで呟いたものを本にまとめたと記憶してますけど、本の文体は、こんな感じですね。
前に読んだ時は、本書は分かりやすさ、親しみやすさ、きっかけづくりを目的としてる事を繰り返し強調してたのが印象的でした。
・【 上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門】お腹の空いたイエス様は怖い
https://cakes.mu/posts/23238
2019/7/28(日) 午前 9:12[ 楽山 (自由) ]
ツイッターでは、聖書関連の最近の呟きは、こんな風ですね。
>【聖書ウラ話】
使徒といえば清廉潔白な人だったようなイメージがありますが、使徒のうち大ヤコブは弟ヨハネと共に「雷の子」と呼ばれるほど怒りん坊で、ある街がイエス様を歓迎しなかった時「この街、焼き払っちまいましょう!」と暴言を吐き、イエス様に怒られました。
https://twitter.com/kamiumach/status/1154962818803699713
2019/7/28(日) 午前 9:13[ 楽山 (自由) ]
> 楽山 (自由)さん こんにちは
「お腹の空いたイエス様は怖い」
自分がお腹がすいていたからって、イチジクが
季節外れなのに食べられる実を結んでいなったと言って腹を立てて、呪ってからしてしまうなんて理不尽、いくら神は何でもできるからってそれは理不尽でしょうということのようですね。
ほんとうにまるで近年多い幼児、子供虐待する親のようでこわいですね。
よく似た話ですが、まるで全く反対の園丁の話もあるんです。(ルカ13:7~)
こういうところが聖書の隠し味のようです。
2019/7/28(日) 午前 11:42[ shalom ]
「使徒のうち大ヤコブは弟ヨハネと共に「雷の子」と呼ばれるほど怒りん坊で、ある街がイエス様を歓迎しなかった時「この街、焼き払っちまいましょう!」と暴言を吐いた弟子たちの怒りを正当化すると、だれ一人として、神の呪い、裁きを逃れることのできる人はありません、でも神さまは園丁のように、いやそれ以上に私たちの命を救うために自分の命を呪いの代価として支払おうとしてイエスさまをお遣わしになられていると私たちに話しておられるような気がします。
弟子たちが「この街、焼き払っちまいましょう!」と暴言を吐いた街とは本来神の民の一族であったのですが、アッシリヤに滅ぼされ、支配され、神の民として穢れたとレッテルを張られたサマリヤ人の街だったのです。神の民の純潔を誇っていたユダヤ人である人達はサマリヤ人は神に呪われ、裁かれるべきだと考えていたのです。ですから、イエス差は当然サマリヤ人に対して裁かれるに違いないと信じて、交わりをせず、サマリアの街を避けていたのです。当然の怒りだと信じて疑わなかったのです。
2019/7/28(日) 午前 11:44[ shalom ]
しかし、イエスさまはそのサマリヤの街を通っておられたのです。
イエスさまは弟子たちを厳しく叱られたというのです。
きっとイエスさまが呪われ、枯れたいちじくの木とはイスラエルの神殿の姿、神の民であることを誇りながらも、実を結ぶことのできないユダヤ人、神殿当局、指導者に対して厳しい態度を表されたのではないでしょうか。
後で神殿の清めのわざをされるイエスさまの心の思い、言葉だったのではないかと思います。
ヨハネによる福音書3章14、15、16節のイエスさまが言われた言葉を読んでみてください。
shalom!
2019/7/28(日) 午前 11:44[ shalom ]
>よく似た話ですが、まるで全く反対の園丁の話もあるんです。(ルカ13:7~)
このお話はすきかも。
創世記18章のソドムのためのとりなしの話も、わりとすきではあります。
>ヨハネによる福音書3章14、15、16節のイエスさまが言われた言葉を読んでみてください。
こちらは正直よく分からなかったです。
自分にはちょっとキリスト教色が強すぎるのかも。
2019/7/28(日) 午後 0:25[ 楽山 (自由) ]
イエスとニコデモの話も難しい。
風と霊とを関連させて話てるのは何となく分かる気はするけど、他は難しいですね。
2019/7/28(日) 午後 0:32[ 楽山 (自由) ]
(楽山)
> stさん
申し訳ないですけど、
今後は、もう少しだけでも連投は気をつけてもらえればと思います。
よろしくお願いします。
2019/7/27(土) 午後 7:46[ 楽山 (自由) ]返信する
(私)
楽山は、続けて書くなと言っているようです。批判をするなと、批判されている側が、
「もう少しだけでも連投は気をつけてもらえればと思います」
と言えると思って、書いてくる丁寧語が、あざとい。柔和面をする楽山は、卑怯者、そしてカルトという判断ですから、批判を続けます。
2019/7/28(日) 午後 10:13st5402jp
(私)
キリストを理解していないばかりか、反キリストであり、フィルターどころか、自己中心の欲望の色眼鏡で見ているのは、シャロームであります。
キリストが死んで、期待が吹っ飛んだことが、悔い改めの意味だと言っています。それだけなら、絶望しか残らないでしょう。それ以外の大事なものをキリストは残していたということです。だから、弟子たちは、キリストを忘れられなかったのです。シャロームは、キリスト者ではないから、それが、全く、わからないのです。
(私)
シャロームは、今も、罪を認めず悔い改めなくても、いい気持でいられる欲望の成就を、信仰だと決めつけています。そして、文脈もなく、星の王子様まで持ち出します。プラスになると思えば、実に、気楽に、何でも出してくるのは、カルトの特徴です。早く、凶悪なカルト、シャロームも吹っ飛んでほしいと思います。
2019/7/28(日) 午後 10:13st5402jp
(私)
キリストが弟子に選んだ人々は、理屈屋でも、頭が良かったわけでもなく、それぞれの役割に相応しい者たちだったのだろうと思います。特に、感情が豊かだったように思います。
(私)
ペテロは、一面的で、思い込みが強かったかもしれませんが、悔い改めも激しく、キリストへの愛も強力だったのでしょう。そして殉教することになります。
(私)
のちに選ばれるパウロは、理路に優れ、頭の良い人のように感じます。それが、伝道に役に立つという経過と結果だったのだろうと思います。
(私)
楽山のように、清廉潔白などという世辞言葉で括ってしまうのは、無礼というものです。
ボンヤリ言語の楽山や、嘘吐きのシャロームとは、全然、違うのです。
(私)
楽山は、チクチクと、キリストと聖書をおとしめてきます。楽山が、キリスト教について話をすることは、全く信頼できず、魂胆がある証拠です。
(私)
では、何と答えたらいいのでしょう。分からない、と正直に言えばよいのです。
何でも分かるはずだと要求する者どもを気にすることは、信仰を妨げます。
その結果が、例えば、シャロームです。
2019/7/28(日) 午後 10:14st5402jp
(shalom)
季節外れなのに食べられる実を結んでいなったと言って腹を立てて、呪ってからしてしまうなんて理不尽、いくら神は何でもできるからってそれは理不尽でしょうということのようですね。
ほんとうにまるで近年多い幼児、子供虐待する親のようでこわいですね。
(私)
シャロームは、キリストを理不尽、虐待する親のようで怖い、などと言っています。解釈が間違っていることを考えずに、こんなことを言うのは、信じていない証拠です。
2019/7/28(日) 午後 10:17st5402jp
(私)
このように、シャロームは、受け入れて、逆の話をもってきて、目を逸らそうというカルトらしい反応を示しています。シャロームは、分からないとは言えない人、何でも分かっているつもりだけの、現代のパリサイ人です。
隠し味?・・シャロームの、隠し強がりに過ぎません。都合の悪いコメントの不承認、おびただしい罪と偽善、隠し事で出来ているシャロームです。
2019/7/28(日) 午後 10:18st5402jp
(シャローム)
私たちの命を救うために自分の命を呪いの代価として支払おうとしてイエスさまをお遣わしになられていると私たちに話しておられるような気がします。
(私)
そして、キリストの十字架を、己の無罪妄想にしてしまったのが、シャロームです。いつまで、この男の、嘘八百を聞かされることになるのでしょう。
2019/7/28(日) 午後 10:19st5402jp
(私)
では、シャロームは、どうなるかというと、滅びが進行していると思います。ますます、偽善者らしくなっています。つまり、恐ろしいことを、自分を除外して、平気で言うシャロームなのです。
(シャローム)
後で神殿の清めのわざをされるイエスさまの心の思い、言葉だったのではないかと思います。
ヨハネによる福音書3章14、15、16節のイエスさまが言われた言葉を読んでみてください。
shalom!
2019/7/28(日) 午前 11:44[ shalom ]返信する
(私)
きよめようのないものは、どうなったでしょう。行ってしまえ、と言われます。
2019/7/28(日) 午後 10:20st5402jp
(シャローム)
「よく似た話ですが、まるで全く反対の園丁の話もあるんです。(ルカ13:7~)」
(私)
全く・・を付けるほどの、反対の話ではありません。
(ルカによる福音書、口語訳)
13:7
そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
13:8-9
すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。
(ルカ13:7-9、新約聖書)
2019/7/28(日) 午後 10:20st5402jp
(私)
三年でもなく、もう少しでもなく、シャロームは、少なくとも、8年、実際は、もっと何十年も、我欲のために、罪を認めず悔い改めず、それで、元牧師と嘘を吐き、キリスト者だと嘘を吐き、人々を惑わせ続けています。
「行ってしまえ」という聖句は、もう一つ
(ルカによる福音書、口語訳)13:27
彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。
(ルカ13:27、新約聖書)
(私)
間違いも、過ちも、罪も、正直に告白すれば、そこで信仰は改まり、神の寛容と、キリストの愛によって、赦されるでしょう。シャロームは、その機会を、ことごとく、無にして、しかも、正しさを偽装して、教える立場にしがみつき、反信仰を続けているのです。信じられないような背きです。
2019/7/28(日) 午後 10:21st5402jp
再度、お願いしますけど、連投は控えていただければと思います。
話の流れとか、文字制限の関係などから、二、三の連投も止むを得ない場合はあるかと思いますが、
五以上、二桁近くの連投が常態化するのは、さすがに困ります。
もしどうしてもコメントが長くなるなら、ご自分のブログに記事を書いて、そのアドレスを貼るなどしてくれれば…と思います。
2019/7/29(月) 午前 6:02[ 楽山 (自由) ]