*末期
 前記事のつづきです。
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(私)
異論あり、というのは、ずっと前から、シャロームに言っている。シャロームは、それでも、ふてぶてしく、反キリストの言説を訂正しない。無視、侮辱、詭弁を弄する。ゆえに、求道者、信仰者、一般に対しても、害毒として、カルトと言っている。
(私)
「stさんがシャロームさんをカルトと断じれば、一般にシャロームさんは違法行為を行う反社会的な人だと誤認させる恐れがあるからやめた方がいい」
違法行為を行る反社会的な人というのが誤認だ、と楽山は言うのは、シャロームの味方、ひいき筋だと分かる。何をしているかは知らない。何をするかは分からない。しかし、ネットで、嘘を吐き、人々に、よからぬ教えを説き、反省もしない。・・、だから、カルトです。間違いと悪を続けている自己中心は、批判の対象になります。
(私)
楽山って、本当に、話にならない。今ここで、批判する目的は、楽山批判がメインなのです。何を傍観者のように語るのでしょう。総ては、楽山が中心ではないかという疑惑も抱いています。シャロームに対する方針は、今まで通り、変わりはしないのです。ふざけるんじゃない。
2019/7/30(火) 午後 9:42st5402jp



(私)
交流する者ということではなく、シャロームの賛同者は、味方は、ということです。つまり、楽山、特に、あなたです。
(私)
「宗教を理由にして個人を差別、排斥しようとするヘイトであり、人権侵害」
となるのは、一般的に、善良な人に対してです。少なくとも、無害な人に対してです。
(私)
シャロームも、楽山も、全量からは、かけ離れています。人間の自由を脅かす思想を広めようとする悪と偽善であるから、明らかに有害であり、根拠を示せば、いつでも、どこでも、批判対象になるということです。
(私)
ネットでのカルト宣伝活動をやめれば、対象がなくなるから、ネットでは批判は止むでしょう。楽山の的外れは、本当に、話にならない。放置することは、正常な一般他者の人権を犯すことです。言論の責任を負わない者に、言論の自由はないのです。詭弁で邪魔をするカルト宣伝者である楽山、あなたもまた、ゆるされません。
2019/7/30(火) 午後 9:43st5402jp



(私)
「カルトはまともなことは言わないと思ってると、カルトの餌食になる可能性が高くなる」
カルト擁護者は、気でも狂ったのか。まともに見えることを言っても、それは、カルト宣伝のためだと見なされることです。良さそうなことを、盛んに言うのは、カルトの特徴です。引き寄せて、すり込むのが、カルトですから、それは、まともではなく、作為、恣意、悪意によるものです。言葉面だけを見る者とは、話になりません。
(私)
「カルトかと思ったら、すごくいいこといってる。こんないいことをいえる団体がカルトのわけがない」
という方向に、誘導するのが、あなた、楽山とシャロームの言説なのです。
(私)
「カルトはまともなことを言って人を集め、徐々にまともでない方に誘導する事が多々ありますから、」
あなた自身が、認めているじゃないか。だから、根っこが腐っておれば、同じことを言っても、それは、まともではないのです。まだ、分からないのか。思想が偏向して理解力のない人と話をするのは、本当に疲れることだ。あなたのコメントこそ、まともじゃない。
2019/7/30(火) 午後 9:43st5402jp



アドラー教によって楽山の言うことは、今まで言ってきたことも含めて、極めて危険な人格破壊に結び付きます。人間を、鈍感で、いつも悦び、文句を言わず、世辞でやり取りをして、気に入らないことは無視して、反省せず、学習せず、成長しないような、愚鈍の民にしてしまうあらです。
2019/7/31(水) 午前 4:28st5402jp



>異論あり、というのは、ずっと前から、シャロームに言っている。シャロームは、それでも、ふてぶてしく、反キリストの言説を訂正しない。無視、侮辱、詭弁を弄する。ゆえに、求道者、信仰者、一般に対しても、害毒として、カルトと言っている。
>違法行為を行る反社会的な人というのが誤認だ、と楽山は言うのは、シャロームの味方、ひいき筋だと分かる。何をしているかは知らない。何をするかは分からない。しかし、ネットで、嘘を吐き、人々に、よからぬ教えを説き、反省もしない。・・、だから、カルトです。間違いと悪を続けている自己中心は、批判の対象になります。

この辺りからすると、シャロームさんはカルト宗教の信者でも教祖でもない、献金詐欺、霊感商法などもやってない、ただその信仰観、信仰態度が容認できないからカルトとして批判してるということらしいですね。
2019/7/31(水) 午前 6:51[ 楽山 (自由) ]



>シャロームの賛同者は、味方は、ということです。つまり、楽山、特に、あなたです。

私は、誰の味方というのはあまりないです。
st対ヨシュアでは、ヨシュアさんは議論のテーマとは大して関係ないstさんのプライベートを攻撃したりなどが酷かったので、st擁護。
シャローム対stでは、stさんのシャローム攻撃が酷いのでシャローム擁護。
理想としては、「人につかず、組織につかず、法(真理)につけ」だけど、実際は、情に掉さして流されることが多いですね。

あと、シャロームさんはクリスチャンで政治的には左寄りっぽいですが、私はノンクリで右寄りです。時に、石原慎太郎が左に見えるくらい。両者には相違点も多々あるので、その点覚えておいてもらえればと思います。
2019/7/31(水) 午前 7:00[ 楽山 (自由) ]



>今ここで、批判する目的は、楽山批判がメインなのです。何を傍観者のように語るのでしょう。総ては、楽山が中心ではないかという疑惑も抱いています。シャロームに対する方針は、今まで通り、変わりはしないのです。ふざけるんじゃない。

私から見ると、stさんの意見は、相手のことを悪く想像した上で、その悪く想像した相手に対してアレコレ言いまくっているようです。
だから現実の楽山は、自分の心に描いた悪い楽山を攻撃してるstさんに、「それは楽山とはちがいますよ」と声をかけるという構図になります。
これは多分、シャロームさんでも同じです。自分の心に描いた悪いシャロームを攻撃するstさんに、現実のシャロームさんは「的外れ」と指摘する。
stさんはスルーされると怒るけど、こういうことが延々続いたら誰だってスルーする以外になかろうと思います。
2019/7/31(水) 午前 7:02[ 楽山 (自由) ]



話は変わりますけど、HS信者には、自分は物事の本質を見抜き、正しく判断できると信じている人が多くいます。
だから、大川隆法の本質を良い方に想像して、大川隆法は神だとし、
批判者については悪く想像して、悪霊だ、悪魔に操られてる者だとします。

これに対して、批判者はそれは妄想だと指摘しますが、
自分は霊的真実を正しく見抜いていると信じてる信者は聞く耳を持ちません。
かえって、悪魔(批判者)のそそのかしには惑わされないぞと、自分の妄想の中に深く潜り込もうとする。

物事の本質を見抜き、正しく判断できるのは神だけで、人にはできないと思ってくれればいいのだけど、中々そういう信者はいない。
stさんもHS信者と同じ罠にはまってませんか。気をつけて下さい。
2019/7/31(水) 午前 7:05[ 楽山 (自由) ]



この辺りからすると、シャロームさんはカルト宗教の信者でも教祖でもない、献金詐欺、霊感商法などもやってない、ただその信仰観、信仰態度が容認できないからカルトとして批判してるということらしいですね。
2019/7/31(水) 午前 6:51[ 楽山 (自由) ]返信する

(私)
シャロームの違法行為についても、教団を持っているかどうかも、知りようもありません。シャロームの不法というのは、キリスト者としてはあり得ない行為ということです。
(私)
最低限の正当さえも信じていないし、反することをしていながら、キリスト者のふりをしているから、違う自己中の邪悪な教えを広めようとしている、つまりカルトだということです。信仰観も信仰態度も、キリスト信仰の欠片もないということ。
(私)
ここで「カルト宗教の信者でも教祖でもない」という理路はない。
2019/7/31(水) 午前 9:37st5402jp



st対ヨシュアでは、ヨシュアさんは議論のテーマとは大して関係ないstさんのプライベートを攻撃したりなどが酷かったので、st擁護。

(私)
擁護など、されてないと思います。ヨシュアは、最初から最後まで、やりたい放題、言いたい放題で、殆ど罵詈雑言。
2019/7/31(水) 午前 9:37st5402jp



(楽山)
あと、シャロームさんはクリスチャンで政治的には左寄りっぽいですが、私はノンクリで右寄りです。時に、石原慎太郎が左に見えるくらい。両者には相違点も多々あるので、その点覚えておいてもらえればと思います。
2019/7/31(水) 午前 7:00[ 楽山 (自由) ]返信する

(私)
ノンクリで、なぜ、信仰の記事を書くのか、しかも、お救いください、というような信仰者が書くような記事を。やはり、本気ではなかった、嘘だったということを、楽山自身が、ここで自白し証明した。
2019/7/31(水) 午前 9:38st5402jp



(楽山)
>今ここで、批判する目的は、楽山批判がメインなのです。何を傍観者のように語るのでしょう。総ては、楽山が中心ではないかという疑惑も抱いています。シャロームに対する方針は、今まで通り、変わりはしないのです。ふざけるんじゃない。
私から見ると、stさんの意見は、相手のことを悪く想像した上で、その悪く想像した相手に対してアレコレ言いまくっているようです。

(私)
アドラー教によって、気に入らないことは無視してきたのは、書くもの、言ってることに、現れています。ゆえに、推測すれば、良いことは生まれてきません。想像ではなく、根拠のある推測です。どうして、理路の扱いが、そんなに雑なのか。にもかかわらず、なぜ、書いてくるのか。
2019/7/31(水) 午前 9:38st5402jp



(楽山)
だから現実の楽山は、自分の心に描いた悪い楽山を攻撃してるstさんに、「それは楽山とはちがいますよ」と声をかけるという構図になります。
これは多分、シャロームさんでも同じです。

(私)
現実の楽山は、ネットで嘘を吐いてきたこと認めるのでしょうか。ネットですから、言論に表れたことから、どういう人かは推測するしかありませんが、既に、そこで、根拠をもって、不正だと言っているのです。それが、現実と違うとかいうのは、それこそ、自分は、偽りだ、嘘を吐いた、と言っているのと同じです。
2019/7/31(水) 午前 9:39st5402jp



(楽山)
自分の心に描いた悪いシャロームを攻撃するstさんに、現実のシャロームさんは「的外れ」と指摘する。

(私)
現実に、シャロームについて、キリスト教を主張しながら、キリスト教とは思えないことを言い、嘘を吐き、コメントを隠したり削除したりの8年間を経て、そのことを、私は、たくさん書いてきたのに、自分の心に勝手に描いていると、今さら、言うのは、やはり作為と詭弁によるごまかしに過ぎない、ということになるのです。
(私)
また、シャロームが、私に、根拠をもって、的外れと言ったことはないと思います。あなたと同様、遣り取りの理路を整えることの出来ない人です。証拠隠滅して、逃げ隠れか、悪態を吐くだけです。
2019/7/31(水) 午前 9:40st5402jp



(楽山)
stさんはスルーされると怒るけど、こういうことが延々続いたら誰だってスルーする以外になかろうと思います。
2019/7/31(水) 午前 7:02[ 楽山 (自由) ]返信する

(私)
スルーされて怒っているのではない。スルーされる前に、既に、シャロームについても、楽山についても、不正と判断するに十分な根拠がそろっているのです。それは、今までも、示してきたが、やはり、あなたは、アドラー教によって、無視したのち健忘しているか、無視し続けているかでしょう。そこが、始めに気づいたアドラー教による人間性の破壊です。広められてはいけない根拠でもあります。
(私)
シャロームは、無視するか、悪態を吐くだけだが、楽山は、こうして、執拗に書いてくる。だから、批判記事も際限なく続く。楽山もシャロームも、口を開けば、不正なことが、ドドッと溢れてくる。
2019/7/31(水) 午前 9:41st5402jp



(私)
私は、一度も、神を決めつけてはいない。だから、聞く耳を持ちますが、その、聞く耳に、シャロームと楽山の言い分は、一度も、まともに響いたことがない。私の書いたことの何を読んでいたのか、という印象と理路が、ずっと続いている。
(私)
神を、自分の守り神として、勝手に決めつけているのはシャロームです。だから、シャロームは、世辞を言う口を持っていても、聞く耳も弁明の口も持っていない。訂正不能の不法だから、批判は継続するということにしかなりません。
(私)
楽山は、わたしを、HS信者と同じ罠に嵌っていませんかと、言葉の罠にはめようとしています。これは、根拠のないやゆでもあります。相変わらず、理路のないところで、言いがかりをつけてくる楽山なのです。
2019/7/31(水) 午前 9:41st5402jp



(私)
私が語るのは、神の意志ではなく、個々にはその意志を知り得ないが全知全能と信じた神に対する人の姿であり、人の心であり、人の反応から見えることであり、人のあるべき最低限の当為であり、つまり、私は、人間を主張している。またしても、私の書いたものから何を読んできたのか、それも読み取れないのか、と言いたくなるような、楽山の作為か怠慢か理解力の欠如を表しています。
(私)
正しく判断できるのは神だけ、ということを本当に知っているなら、宗教は、人が、自分で自分や人や神を決めつけてはいけないことを理解できるはずだが、楽山は、全く理解している様子がないし、シャロームは受け付けもしない。ゆえに、こういう、とんでもない人が宗教を語っているんですよ、近づかないでください、ということを、一般読者に伝える必然があるということです。
(私)
わざわざ、楽山が、批判の必然に導いてくるとは。だったら、執拗に空しい批判返しはしないことだ。
2019/7/31(水) 午前 9:41st5402jp



>想像ではなく、根拠のある推測です。

>根拠をもって、不正だと言っているのです。

>既に、シャロームについても、楽山についても、不正と判断するに十分な根拠がそろっているのです。

stさんは、Mineさんは楽山ではないかと推測して、Mineさんのブログに乗り込んでいって問いただしていたでしょう。
stさんは、根拠を持って正しく判断しているつもりでも、傍からはそうは見えないことも少なくないと思います。
2019/7/31(水) 午後 7:51[ 楽山 (自由) ]



>ノンクリで、なぜ、信仰の記事を書くのか、しかも、お救いください、というような信仰者が書くような記事を。やはり、本気ではなかった、嘘だったということを、楽山自身が、ここで自白し証明した。

ここで明らかになったのは、stさんがノンクリに差別的な考えを持っているということかと思います。
クリスチャンの方は、みんな、このような考えを持ってるのでしょうか。
ノンクリが信仰、救いについて書くのはだめなのか、折を見て他のクリスチャンの方に聞いてみたいと思います。
2019/7/31(水) 午後 7:51[ 楽山 (自由) ]



>正しく判断できるのは神だけ、ということを本当に知っているなら、宗教は、人が、自分で自分や人や神を決めつけてはいけないことを理解できるはずだ

これはどういうことでしょうか。
シャロームさんを正しく判断できるのは神だけであり、stさんがシャロームさんについて、ああだこうだと断定したとしても、それはstさんの個人的な見解にすぎず、正しい判断であるとは必ずしも言えないし、本来そういう風に決めつけるのはいけないことだということでしょうか。
なんかこれまでのstさんの主張…自分は根拠を持って正しい判断をしている、自分のシャロームに対する認識、判断、批判は正しい、自分は正しいことをしているというのとは方向性が違うようだけど、
上記の意であれば、私も同意できますね。
2019/7/31(水) 午後 7:58[ 楽山 (自由) ]



> st5402jpさん こんばんは

>正しく判断できるのは神だけ、ということを本当に知っているなら、宗教は、人が、自分で自分や人や神を決めつけてはいけないことを理解できるはずだ・・・

だれのことですか?
あなた自身、正しく判断できるのは神だけという、このことを本当に知っていないからこそ、
まるで神の唯一の代弁者気取りで、あなたの自戒の言葉を忘れ、
的外れな他戒の言葉を書き連ねているのではありませんか。
あなたの自慢の論理はいつも我田引水の自壊の言葉ではありませんか。
shalom!
2019/7/31(水) 午後 10:10[ shalom ]



stさんは、根拠を持って正しく判断しているつもりでも、傍からはそうは見えないことも少なくないと思います。
2019/7/31(水) 午後 7:51 [ 楽山 (自由) ] 返信する

(私)
そうではない、と書かずに、そうは見えないことも少なくない、と一般化して書いています。違うのなら、はっきり、違うと書くはずなのです。疑惑は、また、一段と、濃厚になってきます。
2019/8/1(木) 午前 3:54st5402jp



クリスチャンであれば、信仰について書くときに、それなりの、謙虚さが文章に表れるのです。楽山には、それがないと言っているのです。といっても、楽山とシャロームは、謙虚さというものが、分からないのだから、言っても無駄でしょうけど。楽山とシャロームの言の至るところに、尊大さと裏腹に、見せかけの謙譲として、軽さと安易さが表れています。
2019/8/1(木) 午前 3:54st5402jp



(私)
「シャロームさんを正しく判断できるのは神だけ」
「個人的な見解にすぎず、正しい判断であるとは必ずしも言えない」
必ずしも正しいと限らないから、するなと言うのか。人間の思考とは思えない呆れた詭弁です。
神は判断と言うより間違いなく裁く御方です。
(私)
それに、私は、決めつけているわけではない。楽山もシャロームも、そうではないという表れを示したことが一度もないということだ。楽山とシャロームが何か書くたびに、判断は強化されてきたという経過と結果である。まだ、安い詭弁が通用すると思っている愚かな楽山です。あるいは、アドラー教の自己中心によって、学習と成長がなくなり、簡単な理路も分からなくなったから言っているのでしょうか。
2019/8/1(木) 午前 3:54st5402jp



(私)
人間は、出来るだけの判断をするのが務めです。それは、総てにおいて、感じ、考えて、判断し、実行して、反省し、悔い改めて、神に祈るのが、キリスト者です。楽山の言は、あまりにも幼稚な詭弁。
(私)
楽山の言っていることは、何でもかんでも、個人の見解にしてしまって、結局、アドラー教によって、怠慢の勧めをしているだけです。楽山のように怠慢でいいんですよ、何も考えなくていいんですよ、と言っているわけです。きたない詭弁。怠慢であり、無価値であり、有害であります。それを広めようとしているのが、楽山です。
2019/8/1(木) 午前 3:54st5402jp



(私)
シャロームのブログで、おびただしい私のコメントを、削除し、コメント欄を閉鎖してきて、最近は、承認と未承認によってコメントを選別し、都合のよりコメントだけを出して、ボロクソ節や世辞のレスを書く、という、およそ民主主義とは真逆のシャロームですが、民主主義の記事を転載して、いい気になっているのです。
(私)
誤魔化しと偽装による自尊の自己顕示欲しかない偽善者だと思います。言うことに根拠を示したことのない、言い張りのみの人が、嫌がらせだけを書いてきています。白々しい世辞と、滅裂な妄想の豪語だけで、良きものをシャロームの言の、どこにも見出せません。だまされないでください。
2019/8/1(木) 午前 3:55st5402jp



(私)
民主主義にもキリスト信仰にも真っ向から反することを、平気でやって悔いないところの、隠蔽と偽装をもって、自尊のみに生きている、とても見苦しいシャロームです。カルト妄想に染まって手遅れになると、そういうことを平気でやるようになります。
(私)
既に腐ってしまったのでしょう、自覚がないために、どうにもならないシャロームが、いかにも、それらしい嫌味を言いに来ました。上のこと、全部、シャロームに当てはまることです。大方、私が、偽善の根拠とともに、シャロームに言ったことを、何の根拠も示さずに、お返しのように、ここに書いてくるのです。人格破壊が進むと、こうなるという例です。
2019/8/1(木) 午前 3:55st5402jp



(私)
シャロームは、シャロームの、罪を認めず悔い改めないでも赦される、という反キリスト妄想に凝り固まっているし、神の代弁気取りで、自戒を忘れ、的外れな他戒の言葉を書き連ねている。シャロームの言は論理にならず、いつも我田引水の自壊の言葉です。
シャロームが、シャローム自身の実態を表して、こちらに向けてきます。今に始まったことではありません。でたらめを言いたい放題言って、醜い顔をゆがめて、笑ってるんじゃないかとさえ思います。
(私)
「ではありませんか」という書き方は、丁寧でしょうか。否、丁寧で穏やかに見せかけて、ごまかしているだけです。これも、今に始まったことではありません。自分は柔和だと言いたのでしょうか、否、いっそう、嫌らしくなるだけです。こういうことをしてくるシャロームは、もはや、あらゆる醜さと悪と偽善に染まった悪魔のように思えます。どんどん、酷くなります。
2019/8/1(木) 午前 3:55st5402jp



>人間は、出来るだけの判断をするのが務めです。

それでも人は間違うのでしょう。だから自分の意見を他に押し付けることはできないのでしょう。

「神のみが正しく判断できる。私は人として出来るだけ正しくあろうと努力するが、それでも自分の意見には間違いがある。間違いがある意見を他に押し付けることは出来ない」

正しく判断できるのは神だけとすれば、この件についてはもう結論は出たと思います。
2019/8/1(木) 午前 5:48[ 楽山 (自由) ]



>それに、私は、決めつけているわけではない。楽山もシャロームも、そうではないという表れを示したことが一度もないということだ。

ここは、決めつけてないといいつつ、決めつけてるようです。
もし本当に決めつけないなら、「一度もないということだ」と断定できず、「一度もないように私には思われる」という風に、「一度もない」は客観的な事実とは必ずしも言えず、あくまで自分の現時点における判断にすぎないことを明示するものです。
2019/8/1(木) 午前 5:50[ 楽山 (自由) ]



>そうではない、と書かずに、そうは見えないことも少なくない、と一般化して書いています。違うのなら、はっきり、違うと書くはずなのです。疑惑は、また、一段と、濃厚になってきます。

私は、物事を正しく判断できるのは神だけだという立場なので、自分の見たこと、判断したことは、「自分にはそう見えた」「自分はこう判断する」という風に書きます。
自分の見たこと、判断したことについては、「~だ」「~である」と、さも客観的な事実を正しく見、判断しているかのような書き方はあまり好みません。ていうか、人の不完全性を自覚したら、そんなことはできないです。
2019/8/1(木) 午前 5:51[ 楽山 (自由) ]



>「ではありませんか」という書き方は、丁寧でしょうか。否、丁寧で穏やかに見せかけて、ごまかしているだけです。

シャロームさんは、「2019/7/31(水) 午後 10:10」で重要な指摘をしてるけど、
stさんはこういう場合、意見内容を検討せず、その表現にケチをつけて、相手の心を悪く想像して、否定しさることが多いように思えます。

他のクリスチャンの方のブログでも、stさんを名指しはしないものの、神のことは分からないと言いつつ、神の代弁者気取りでいる云々と書いてるのを読んだ記憶はあるし、この批判は重要と思います。
2019/8/1(木) 午前 5:55[ 楽山 (自由) ]



>シャロームは、シャロームの、罪を認めず悔い改めないでも赦される、という反キリスト妄想に凝り固まっている

これは、stさんの解釈ではあっても必ずしも事実とは限らないかと思います。
たしか、シャロームさんが悔い改めは必要だと明言したのに対して、stさんは、悔い改めをすればそれは言動に現れる、でもシャロームにはそれがない、悔い改めは必要ないと考えているのだという風なことを言ってたかと思います。要はシャロームさんの言葉よりも、自分の推理を優先した結果、シャロームは悔い改めは必要なしとしていると結論を出してた。
stさんは自分の推理、解釈を客観的な事実であるかのように言うのは止めた方がいいです。
2019/8/1(木) 午前 6:03[ 楽山 (自由) ]



>楽山とシャロームが何か書くたびに、判断は強化されてきたという経過と結果である。

正しい判断ができるのは神だけであれば、人の判断はどれだけ精度を高めても、完全に正しいものにはならず、間違いを無くすことは出来ないでしょう。
そうであれば、他の人に対して、「私はこのように判断しました。間違いもあるでしょうけど、よいところもあるかもしれません。できれば参考にしてください」とは言えても、自分の判断をやたらと主張して、他に押し付けようとしたり、それを受け入れない相手を責めることはできないかと思います。
2019/8/1(木) 午前 6:19[ 楽山 (自由) ]



> st5402jpさん おはようございます

念のために調べてみました。参考にしてください。

自戒の用語解説 - [名](スル)自分の言動を自分でいましめ慎むこと。 「おごり高ぶらないように自戒する」

自讃毀他戒 - 自分自身をほめたたえ、他人をそしりけなすことを禁じた戒。このようなことを誰かに教えて、させることも禁止されている。不自讃毀他戒ともいう。

我田引水ー田にとって、水は不可欠なものである。だから、どんなことをしてでも水を取り入れなければならない。だから、いささか強引でも、自分の田に水を引き入れるということ、転じて、物事をすべて、自分に都合のよいように考えたり、すすめたりする ことをいう。

自壊の用語解説 - [名](スル)外部からの働きによらずみずから壊れること。「内部紛争から 組織が自壊する」

shalom!
2019/8/1(木) 午前 6:41[ shalom ]