*まえおき
st氏は、いつも同じことばかり繰り返しているので、ここで論点を整理しつつ、自分の意見を書いておきたい。
*話しても無駄
まず近頃のst氏は、楽山と話をしても無駄だと主張している。
これについては、私の方でも、st氏に対して同じ印象をもっている。その理由は、決めつけが酷いからである。st氏はいったん思い込んだら、もう人の話は聞かなくなってしまうのだ。
*事例1
たとえば、st氏は「シャロームはカルトだ」「シャロームから酷い被害を受けた」と主張していたが、その客観的な証拠は提示しなかった。だからその点を指摘したら逆ギレしていた。自分は正当な批判をしていると思い込んでいるため、誹謗中傷をしているとは少しも考えないのだろう。
stさんによるシャローム批判については、当方はこんな見方です。・巷には、カルトと言えば、献金詐欺、霊感商法、女性信者にセクハラなど、違法行為、人権侵害などを繰り返す反社会的団体というイメージがある。・でもシャロームさんがそういうことをしたという事実はない。・にも関わらず、シャロームはカルトだと言い募れば、シャロームさんがそういう違法行為を繰り返している人だという誤解を広めることになる。これはよくない。これについても前に話したことがあったと思いますけど、また書いときます。2019/7/29(月) 午後 8:12[ 楽山 (自由) ]
(私)犯罪に及んでいないから批判するな、というのは全く成り立たない。犯罪が起こってからは、警察の仕事である。一般人の出来ることは、おかしいところを見つけたら、批判の言論をもって、不正を訴えてゆくこと、すわわち、抑止と情報の拡散をすることが必要だし、それが一般人にも自由な言論をもって出来ることだ。(私)犯罪じゃないから?・・よくも、そんなことが言えるものだ。巷のイメージだと。今までシャロームと仲良くして理非も分別できないくせに、結局、ここでも味方している。あなたは、冷めた飲み物のように、感じないし、考えない、あなたの意見など、私は、全く聞いていない。理路がないからだ。(私)すでに、信頼など、微塵もない。だから、楽山、アドラー教のあなたも批判対象なのだ。今ごろ何を言っている。やはり、あなたは、一貫して、理路のない、情緒のない、疲労物質だった。今日も。ねちねち、クレームをつけてくるだけ。卑怯者。2019/7/29(月) 午後 11:39st5402jp
シャロームは犯罪者ではないから・・と言いだした時点で、批判の意味を知らないのであり、既にアウトなのです。2019/7/30(火) 午前 0:01st5402jp
>犯罪に及んでいないから批判するな、というのは全く成り立たない。私が言ってるのは、「批判するな」ではなく、「違法行為などのない人に対して、カルト呼ばわりはよくない」ということです。「シャロームの聖書解釈、信仰態度には反対だ」というなら、そこは自由に批判したらいいかと思います。ただ、違法行為などがないにもかかわらず、聖書解釈、信仰態度に異論があるということを持ってカルト呼ばわりするのは、あらぬ誤解を招き、よくないということです。2019/7/30(火) 午前 7:13[ 楽山 (自由) ]
(私)「違法行為などのない人に対して、カルト呼ばわりはよくない」楽山は、何を言っているのでしょう。意味不明です。警察につかまっていないからカルトではない、とでも言うのでしょうか。悪しき宗教を宣伝している、すなわち、嘘吐き、キリストに真っ向から反することを言いながら、キリスト信仰?を説く、改める様子が少なくとも8年間全くない、反論も弁明も全く成り立たない、これだけで十分です。性根の腐ったカルト、それが、シャローム、そして、楽山であります。2019/7/30(火) 午後 5:44st5402jp
>「違法行為などのない人に対して、カルト呼ばわりはよくない」楽山は、何を言っているのでしょう。意味不明です。警察につかまっていないからカルトではない、とでも言うのでしょうか。
よく読んでください。私は、「違法行為」とせず、「違法行為など」と書いてるでしょう。「など」には違法行為以外のことも含まれます。私が言っているのは、「警察につかまっていないからカルトではない」ということではありません。2019/7/30(火) 午後 7:50[ 楽山 (自由) ]ちなみに私は、カルトについては、下記ページを参考にして言ってます。そして私の意見は、こうです。stさんは、シャロームさんの聖書解釈、信仰態度を批判し、シャロームはカルトと断じている、しかし一般は、カルトには違法行為などを行う反社会的なイメージを持っている、stさんがシャロームさんをカルトと断じれば、一般にシャロームさんは違法行為を行う反社会的な人だと誤認させる恐れがあるからやめた方がいい、批判するならカルトのレッテル貼らず、聖書解釈などに異論アリと言うにとどめた方がいい。・カルトの定義をめぐるあれこれhttps://note.mu/daily_cult/n/nad21561cfe0a2019/7/30(火) 午後 7:51[ 楽山 (自由) ]また、stさんはこういう主張を繰り返しているでしょう。シャロームの聖書解釈、信仰態度はおかしい、もう何も語ってほしくない、ブログも止めるべきだ、シャロームとは誰も話すべきでない、シャロームと交流する者は、シャロームの仲間とみなして、批判し、糾弾する。
こういうのは、宗教を理由にして個人を差別、排斥しようとするヘイトであり、人権侵害であるように思えます。やめた方がいいです。2019/7/30(火) 午後 7:55[ 楽山 (自由) ]
*事例2
st氏は「シャロームは、悔い改めは必要ないといった」と主張していた。でも結局、そういう発言があったという証拠は一つも出さなかった。
そうして、シャローム氏本人が悔い改めは必要だと証言したら、今度は「人には悔い改めは必要か?」を、「シャロームは悔い改めたか?」の話にしたり、シャローム氏の言葉を捻じ曲げて、難癖をつけていた。
「イエスの十字架によるあがないを信じていれば、悔い改めは必要ない?」悔い改めなしにイエスの十字架の死による罪のあがないを信じることはあり得ません。しかし、重要なことはイエスの十字架による罪のあがないによってのみ、人はまことの悔い改めに導かれるということです。ですから、悔い改めは人のわざではなく、神によって与えられる恵みの賜物なのです。肉の働きから悔い改めは決して生じないのです。悔い改めをもって自分を義としたり、誇ったり、人を裁くこと、だれも他の人に悔い改めを要求することは出来ないのです。そのような悔い改めは神から与えられた悔い改めではなく、人の自我から生じた肉のわざなのです。「イエスの十字架によるあがないを信じていても、悔い改めは必要?」必要ですね。イエスの十字架による罪のあがないを信じることによって、罪の赦しを与えられますが、私たちは人としての弱さをもった存在には変わりませんから、罪を犯し、過ちを犯さないでで生きていくことは出来ません。2018/12/12(水) 午後 6:29[ shalom ]しかし、それも神の恵みによって、私たちを罪の性質から清め導く神の恵みの御業のなかにあるのです。罪を犯し過ちを犯すたびに聖霊様がわたしたちをイエスの十字架のもとに導き、悔い改めに導いてくださるのです。そのように御言葉と聖霊の助けによって私たちの心の闇が明るみに出されることによって、はじめて、私たちの心の闇が御言葉の光にさらされ、悔い改めに導かれ、その光にさらされることによって闇の力は砕かれ、清められるのです。この点においても悔い改めは神の恵みによって与えられるのです。罪の増すところ恵みもいや増せり(ロマ5:20)口語訳エペソ5:12 彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。5:13 しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。5:14 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。2018/12/12(水) 午後 6:30[ shalom ]
自由さんの「イエスの十字架によるあがないを信じていても、悔い改めは必要?」に対してシャロームは>必要ですね。イエスの十字架による罪のあがないを信じることによって、罪の赦しを与えられますが、私たちは人としての弱さをもった存在には変わりませんから、罪を犯し、過ちを犯さないでで生きていくことは出来ません。<これが偽善者というものです。悔い改めの後が、どこにも表れていません。そのための詭弁が次の通りです。2018/12/12(水) 午後 10:22st5402jp
シャローム>そのように御言葉と聖霊の助けによって私たちの心の闇が明るみに出されることによって、はじめて、私たちの心の闇が御言葉の光にさらされ、悔い改めに導かれ、その光にさらされることによって闇の力は砕かれ、清められるのです。この点においても悔い改めは神の恵みによって与えられるのです。<このように、悔い改めは恵みだと言っています。明らかに、自分で努めることを放棄しています。信仰はそういうものではありません。信仰者は、信仰によって、悔い改めて成長する生き方をするのが、神を信じる者の道です。シャロームは、神が自動的に悔い改めさせるかのような、させられ体験的なことを書いています。我欲と自尊によって、怠慢と無視を正当化し、自分が悔い改めないことを、神の意志だと言っているのです。2018/12/12(水) 午後 10:23st5402jp
>さらに、事実としては、シャロームの発言として、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、というのが、もうずいぶん前にありました。それを訂正していないのです。stさんの記憶ではそうなのだろうけど、第三者が確認できる記録がないのでは根拠としては十分とは言えないように思います。ただ悔い改めと赦しについては、赦しは悔い改めよりも先にあるということは、神父さんの本で読んだことはあります。また「レ・ミゼラブル」でも、悔い改めより赦しが先になってます。ジャンバルジャンは泥棒の罪を神父に赦されてから、悔い改めるという流れ。想像するに、シャロームさんがこの思想について語った結果、議論を経るうちに、上のような嫌な言い回しに変化され、stさんの記憶に定着したのではないでしょうか。2019/2/17(日) 午前 10:31[ 楽山 (自由) ]
やはり、おそろしい。自分では、途方もない理屈をこねているではないですか。どこが自分らしいのでしょう。推測以上の何物でもない。よく、いけしゃあしゃあと言えるものです。何一つ、まともなキリスト共感ではないです。本に書いてあったら正しいわけ?信仰の実感もないくせに。悔い改めが与えられるというのも、棒のような理屈を並べているだけです。あなたが、いちばんの思い込みカルトです。知識の寄せ集め。時間の無駄。推測魔は、あなたです。怖い。2019/2/17(日) 午前 11:26st5402jp
神妙な言い回しで、笑っているのも、あなたでしょう。一生、キリスト教に近づかないで。あなたが、いちばん人を害する要素を持っています。2019/2/17(日) 午前 11:28st5402jp
あちこちから拾ってきたような理屈、接着剤のように粘着している自我、柔和を装う丁寧語は、シャローム以上の自己絶対と排他を根っこに持っているナルシシストだった。2019/2/17(日) 午前 11:46st5402jp
前に、悔い改めより先に赦しがある云々と書きましたが、少し修正します。確認したら、「ゆるしが先で改心があと」となってました。悔い改めと改心の違いは、いまいち判然としませんが、記憶違いがあったことはお知らせしときます。失礼。>「ゆるしが先で改心があとなのです」(『キリスト教がよくわかる本』井上洋治、p.57)https://twitter.com/jiyuu2018/status/10969678927493038092019/2/17(日) 午後 0:15[ 楽山 (自由) ]
「st問題資料集(13_6)邪推・決めつけによる誹謗中傷、悔い改め、おそろしい、双方向の対話、日本教、ゆるしが先で改心があと、st氏の退散★」より
*結論
st氏はこういうことを何度も繰り返しているので、私はst氏との理性的な対話は無理だと判断した次第である。
*付録1
最後に、ついでにst氏のシャローム批判について、私見を述べておこう。
過去の議論を読めばすぐに分かることだが、st氏のシャローム批判は次のように分類できる。
- 悔い改め問題…これはただの神学論争。カルト問題とはちがう。
- コメント削除問題…st氏はシャロームからコメント削除されたと文句を言っていたが、st氏のコメントは個人攻撃ばかりなので、荒らしとみなされて削除されても仕方なかろう。これはカルト問題ではない。
- その他…どれもこれもシャローム氏に対する人格批判、難癖ばかり。これは私怨ではあっても、カルト問題ではない。
つまり、st氏は「シャロームはカルトだ」「シャロームから酷い被害を受けた」と連呼していたけれども、それは根拠薄弱の妄想にすぎなかったということである。そして今、標的を楽山に変えて、同じことをしているわけである。st氏はこれまでもこれからも、こういうことをずっと続けてゆくのだろう。
*付録2
ついでにもう一つ書いておこう。先日、st氏のツイッターを見たときに、楽山は神仏のことは分からないとしていながら、仏像の気持ちを感じると書いていたのはおかしいとか何とか書いているのを見た。
こんなものは普通に読めば、「仏像の気持ちは感じることができるが、それが正しいかどうかは分からない」「神様の気持ちは感じることはできる。でもその感じが正しいかどうか確認する術はない」という意味だと了解できるだろうに…。
私は真理についての話は好きだが、st氏はこういう下らない難癖ばかりつけてくるので閉口させられるし、st氏は一方的な決めつけが酷すぎて話しても無駄だと思わないではいられないのである。あしからず。