*詭弁
相変わらずst氏は、楽山は詭弁家だとか何とか繰り返している。
でも、そういうst氏こそが、詭弁を弄しているというのが現実である。
*事例1
たとえば過去にこんなやりとりがあった。(黄マーカーは楽山による。以下同)ひょっとして、あなた、女性ですか。2019/1/3(木) 午後 2:19st5402jp
それはないですよ。2019/1/3(木) 午後 5:01[ 楽山 (自由) ]
2:19にだけ答えて、あしらってつもりかもしれませんが、あしらっちゃいけないこともありますから。今夜0時過ぎに記事にします。2019/1/3(木) 午後 5:40st5402jp
先日の記事を拝見したら、関わるなとか書いていたこと、上のコメは独り言っぽかったことなどから、発言は控えていただけですよ。でも、2:19は、明確な質問になっていたから答えたということ。2019/1/3(木) 午後 7:24[ 楽山 (自由) ]
2:19は、明確な質問ではなく、疑問ですね。発言を控えるのは自由さんの自由ですが、シャロームの挨拶に対して、シャロームへの挨拶を返すことは、シャロームに好意的に関わることを意味します。コメント書きたくて飢えているシャロームは、図に乗るでしょうから、私は苦言を呈することになります。2019/1/3(木) 午後 8:24st5402jp
「st問題資料集(5_6)人それぞれ、信仰観、シャローム氏と話してはいけない?、楽山も批判対象とされる ★」より
「女性ですか」は、「質問ではなく、疑問です」とのことである。こういうことを言う人が、他人のことを詭弁家だと非難するのだからおかしい。
*事例2
こんなやりとりもあった。
ところで、私は、カルトか否かの判断基準は、藤倉さんの記事によってます。違法行為や人権侵害があるかないかという基準です。これでみると、シャロームさんについて、違法行為や人権侵害があったという証拠はないので、シャロームさんはカルトとはいえないという結論になります。stさんは自分の中の基準や推測から、シャロームはカルトと断じてるようですけど、
違法行為や人権侵害の証拠を出せない限りは、stさんの主張が広く受け入れられることはないでしょう。・カルトの定義をめぐるあれこれ|藤倉善郎(やや日刊カルト新聞)|notehttps://note.mu/daily_cult/n/nad21561cfe0a2019/8/30(金) 午前 7:01[ 楽山 (自由) ]
(私)都合の良い基準ですね。これだと、犯罪に及ぶ前はカルトではないということになります。早期発見・早期対処は全くできないことになります。楽山は、都合がいいから、そう望んでいるということでしょう。2019/8/30(金) 午前 11:17st5402jp
(楽山)また悔い改めについては、私がシャロームさんに質問した時に、悔い改めは必要だという確答を得たと記憶してます。(私)楽山は、詭弁だとバレていることを持ち出しました。シャロームは、悔い改めは必要だが、神が与える、と言ったのです。つまり、悔い改めていないのは、神が与えていない証拠なのです。前に書いたと思います。楽山は、記憶障害もあるのでしょうか。(私)悔い改めたかどうか、日々悔い改めているかどうかだけが、問題なのです。シャロームは、悔い改めた、悔い改めている、と入っていないのです。それをごまかすために、神が与えるなどという安い詭弁を言ったのです。2019/8/30(金) 午前 11:17st5402jp
「st問題資料集(17_6)妄想だらけ、カルトの定義、悔い改め、st氏との対話不可能、楽山のst批判、シャローム氏の指摘、st氏の自己弁護と楽山批判」より
ここで私は、カルトかどうかの判断基準として、違法行為や人権侵害を提示した。しかしst氏は、違法行為という基準には反論しても、人権侵害という基準は無視している。それでいながら、楽山は、ご都合主義だと嘲笑しているのだからおかしい。
また、悔い改めは神の恵みだというのはキリスト教の基本思想なのに、「安い詭弁」と貶めている。シャローム氏をくさすためなら、キリスト教を否定しても平気なのだろう。「シャロム追放できるなら、ぼくは悪にでもなる」という言葉の実践ということか…。
*事例3
こういう例もある。
>カルトに対して、役立つ考え方があるようだ、ということが、既に、カルトとは見なしていない証拠です。これは大雑把すぎると思います。宗教というものは、多くの場合、カルトも、カルトでないものも、まともな教えと、まともとはいえない教えの両方があるものです。カルトのまともな教えと、まともでない教え、カルトでない宗教のまともな教えと、まともでない教え、等々。カルト批判するなら、この辺りの区別はちゃんと付けた方がいいです。2019/7/30(火) 午前 7:14[ 楽山 (自由) ]
(私)大雑把で穴だらけなのは、楽山のほうです。まともな考えと、まともでない考えに分けることは無意味です。カルトは、即刻、人道に反する有害な宗教もどきとして、全否定する必要があります。一部が間違っているなんて、私は、考えていません。根っこが腐っておれば、総て邪悪です。区別をさせて、ああでもない、こうでもない、という楽山のボンヤリ言語ワールドに引き込みたいのでしょう。これこそ、カルトらしい誘導です。(私)宗教として、根っこが腐っていると思うからカルトと呼んでいます。この楽山の考え方こそ、カルトを擁護する者の作為と悪意なのです。そして、楽山は、カルト宣伝者です。何を、外から見ているような口の利き方をするのでしょう。楽山は、書けば、いたるところに、言い逃れの詭弁をまき散らしているようです。2019/7/30(火) 午後 5:44st5402jp
邪悪なものに、まともがあり、まともと、まともじゃないものを、分けるべきだと言っていることが、既に詭弁。分けられないものを、ふつうに分けられるかのように語る、そして、騙る、楽山の詭弁。2019/7/30(火) 午後 6:06st5402jp
私の意見はこれである↓
「宗教というものは、多くの場合、カルトも、カルトでないものも、まともな教えと、まともとはいえない教えの両方があるものです」
st氏の反論はこうだ↓
「邪悪なものに、まともがあり、まともと、まともじゃないものを、分けるべきだと言っていることが、既に詭弁」
邪悪は邪悪でしかないのはその通りだが、st氏は、「宗教」の話を、「邪悪」の話にすりかえているのだから卑怯である。st氏の中では、「カルト宗教=邪悪」なのかもしれないが、カルト宗教問題の難しさは、カルト宗教だからといって全否定したら済むことではないところにあるのだ。「カルト宗教=邪悪」と決めつけても仕方がない。
また、st氏は、自分が「宗教として、根っこが腐っている」と判断したら、それはカルトであり、全否定しなければならないという。この独善性はひどい。まるで「私が法である」と宣う専制君主みたいだ。st氏が自分の判断を絶対化しているのは承知しているが、こうもハッキリ断言してのけられると開いた口が塞がらない。
*結論
こうしてみると、st氏が言う「詭弁」とは、相手の意見を全否定するための決めつけにすぎないこと、st氏こそが詭弁を繰り返していることが分かるだろう。
思うに、この世のものは何であれ、白黒はっきり分かれているものは稀である。「これは善、あれは悪」という風に簡単に割り切れるものはほとんどない。
それにもかかわらず、st氏は自分が敵視する相手のことを邪悪と決めつけて、全否定しようとする。仮に相手が正しいことを言っていても、それを邪悪と否定し、糾弾しないでは気がすまないのである。st氏の決めつけ、詭弁がひどいのは、こういう強引さのためなのだろう。無理を通せば道理が引っ込むというやつである。
*参考
蛇足ながら、こちらのページでは、詭弁と決めつけることも詭弁だとしている。
相手の間違っている点を言語化し、指摘をするのであれば詭弁ではありませんが、“詭弁であることだけをただ主張する”行為は、そのものが「詭弁」です。
st氏はこの手をよく使うので注意が必要である。