*軽蔑、侮辱
 st氏は、楽山から侮辱された、嘲笑されたと主張しているようだ。
 でも実際は、侮辱、嘲笑は、st氏がいつもやってることである。


*呼び方
 たとえば、st氏は、楽山に悪感情を抱くようになると、すぐに「安楽山」「不自由さん」などといって、楽山(自由)を小馬鹿にするようになった。そのくせ、自分こそが侮辱された被害者だと主張するのである。
>ゆるゆると、遠回しに、他者の言葉を借りて、人を侮辱してきた楽山です。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html

人を猿よばわりしつつ、こういうことを書くのはよくないです。
それに先日は、私の名前を、不自由さんとか、安楽山とか変な呼び方をしてバカにしてた。
こうしてみると、人を侮辱するというのは、自分の姿を他に見てるだけのような気がします。

ちなみに、ヨシュアさんはエグゼルさんの名前を変にしたり、猿よばわりしてた。この点、stさんとヨシュアさんは同じです。
2019/2/26(火) 午前 6:05 [ 楽山 (自由) ] 

*誹謗中傷
 最近では、st氏はこんなツイートを連投していた。 

 これだけの悪口を書き連ねながら、自分は侮辱、嘲笑されたと文句を言うのだから、おかしな話だ。まさに、人の目の塵を見て、自分の目の丸太を見ない状態である。
 人を侮辱、嘲笑、誹謗したら、尊敬が返ってくるとでも思っているのだろうか。


*本音
 ついでに上のツイートを種にして、st氏が楽山につきまとう理由を書いておこう。
 まずst氏はこのように書いている。
私は、楽山をストークしているのではありません。サイコパスで精神が貧困で詭弁屋の楽山には、何も惹かれるものはないです。
 でも実際は、st氏は三年以上にわたって、毎日のように楽山のブログ、ツイッターをみては、楽山をテーマにしたブログ記事を書いているのである。しかも、これは惰性でやっているのでなく、情熱を持ってやっているのである。たとえば、このツイートには、そういう心情がはっきり出ている。
 st氏の言葉は、妄想ばかりで理解し難いところが多いのだが、「私は、このような卑怯者である楽山を批判する動機を新たにするのです」という一文に、st氏の使命感、高揚感が読み取れるだろう。
 つまり、st氏は、口では楽山に惹かれるところはないし、ストーカーではないとしつつも、実際には並々ならぬ情熱を持って楽山を追いかけ回し、そうすることに価値があると信じているのである。そしてそのことをいくら注意されても止められないのである。気の毒なことである。


*動機
 では、なぜst氏がそうなのかといえば、元々の性質もあるのだろうが、楽山に痛いところをつかれた恨みが大きな要因になっているのだろう。たとえば、こんな風に↓
  • 議論中、楽山から痛いところをつかれて傷つき、恨む
  • 楽山は悪質なカルトだと思いつく
  • 楽山に傷つけられる被害者がでないように、楽山を批判し、注意喚起しなければならぬと思い込む
  • 楽山につきまとい、こき下ろすことで、正義を実践している充足感を得る。
 大方、シャローム氏に対しても、同じような流れで、つきまとっていたのだろう。言葉にするのもはばかられるが、ある意味、シャローム氏や楽山は、st氏の正義感を満たすためのオナペットにされたということである。
 st氏はそんなことはないと抗弁するだろうけれども、st氏のブログには正義を装った怨念が渦巻き、シャローム氏や楽山がその犠牲にされていることは誰にでも分かることだろう。