*まえおき
本書は、武者小路実篤の三女辰子さんによる回想記である。月刊『新しき村』に連載していたものを中心にまとめたとのことである。
偉人に身近に接した人の思い出話は、その偉人の日常を知る上で興味深いものだけれども、本書も例外ではなく、とても興味深く、かつ面白いものになっている。
*ほくろの呼び鈴
とりあえず、本書の中で面白かった箇所を三つほどメモしておこう。
まずは本書のタイトルの由来である。何でも著者は、幼い頃、父の口の横にあるほくろを、「『呼び鈴』と称して『リーン』と言いながら押して」いたそうだ。
これ、実に微笑ましい父娘の光景である。自分には、「ほくろの呼び鈴」というタイトルと、武者小路実篤とのつながりがいまいち分からなかったが、この話を知ると合点がゆく。そして実篤ファンとしては、ちょっと著者のことが羨ましい…(笑)。
*涼風
二つ目は、真夏、汗だらけになりながら父と歩いたあと、木立の間を通る道に入り、涼しい風にほっとしたとき、父は帽子を脱ぎ、湯気の立った頭に風を当てながら、「この気持ちの良さはお前にはわかるまい」と言ったそうな(ハゲドンドン)。
一方、著者の方はというと、「あじわえるようになったら困る」と思いつつも、「実は、父がうらやましかった」とのことである。いや、そこはうらやましがらなくてもいいだろう(笑)。
*初孫
三つ目は、武者小路実篤が幼い初孫を連れて、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗り、自身の講演会場についたとき、孫はにっこりして、「ここはすいていてよかったね」と言ったという話である(行き先)。
著者によると、武者小路実篤は「少しきまり悪そうに、そして何だか嬉しそうにその話を」していたそうだが、その気持は分からなくもない(笑)。
*厳しい話、悲しい話
本書には当然ながら、面白い話ばかりでなく、思わず背筋を伸ばしてしまうような話もあれば、泣けてくる話もある。でもそれらはすべて武者小路実篤らしい話ばかりである。心から率直、素直で、向上心に溢れた人だったんだなと。
この点、この本は武者小路実篤が好きな人にとっては安心して読めるだろうし、おすすめである。