*新しい思想なんてない!?
「新しいことを思いついた! おれって天才じゃね?」と興奮したとしても、さまざまな本を読むうちに、自分が考えたのと同じことがとっくに発表されていることを知り、しょぼんとしてしまうことがあるけれど、ソルジェニーツィンの小説でもそういう話が語られていた。
どうして僕がもう一度アメリカを発見しなおす必要があるんだね? 哲学という星の上じゃすべての陸地がもうとうに発見されてしまっているのだ。古代の賢人たちの本をめくると、そこにはちゃんと僕の最新の思想がのっかっている。(「煉獄のなかで」『集英社版 世界の文学32 ソルジェニーツィン』ソルジェニーツィン著、木村浩/松永緑彌訳、集英社、1978年、p.42)
おそらくこの種のことは、ものを考える人であれば誰もが経験することなのだろう。私程度の者でも、時々あることなのだから、思考力がもっと優れている人であればきっと何度も何度も経験し、その度にがっかりしているのだろう。
でもこれで意気消沈してばかりいても仕方がないし、「他から教えられたのではなく、自分で思惟を重ねることで到達したのであれば、その思想がすでに語られていたものであるかどうかに関わりなく、それは素晴らしいことなのだ」と前向きに考えておくのが精神衛生上は無難なのだろうな…たぶん。とりあえず自分はその方向で行くことにしておこう。
*名付け
ところで、この手のことはよくあることであるなら、もしかしたら既に「◯◯体験」みたいな命名がされているのだろうか。
自分はそれは知らないので、とりあえずは、ぬか喜びということから「ぬか体験」としておこう。いまいちセンスが無いのは分かってるので、後でもっといい呼び方を思いついたら変更するつもりだけど、暫定的に今はそう呼んでおこう(笑)。
*名付け
ところで、この手のことはよくあることであるなら、もしかしたら既に「◯◯体験」みたいな命名がされているのだろうか。
自分はそれは知らないので、とりあえずは、ぬか喜びということから「ぬか体験」としておこう。いまいちセンスが無いのは分かってるので、後でもっといい呼び方を思いついたら変更するつもりだけど、暫定的に今はそう呼んでおこう(笑)。