*懐疑主義の価値とは?
ソルジェニーツィンの小説を読んでいたら、懐疑主義の価値を語っている箇所があったのでメモしておきたい。
僕の懐疑主義ってのは、いってみれば荒天がすぎるのを坐って待つ路傍の小屋なんだ。だが懐疑主義は独断的な頭を救う一つの形式だよ。懐疑主義の価値はそこにあるんだ。(「煉獄のなかで」『集英社版 世界の文学32 ソルジェニーツィン』ソルジェニーツィン著、木村浩/松永緑彌訳、集英社、1978年、p.44)
これはとても共感できる言葉だ。恥ずかしながら自分は、軽率にも、とある新興宗教を信じ込み、他者からの忠告に耳を貸さずに入会してしまったという失敗経験があるので、懐疑というブレーキの大切さはよく分かる。
宗教など、なにかを信じようとするときには、「これは本物だ! これこそ自分が探し求めていたものだ!」という直感だけで突進するのではなく、一度立ち止まり、多角的視点から慎重に考察し、独善的な判断を避ける努力をすることを忘れてはならないのだ。
こういうことは信仰熱心な現役信者には理解され難いことではあるだろうが、宗教的熱狂からさめて、日常を取り戻した自分としては心から痛感していることではある。
こういうことは信仰熱心な現役信者には理解され難いことではあるだろうが、宗教的熱狂からさめて、日常を取り戻した自分としては心から痛感していることではある。